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【戦後70年 千葉の出来事】銚子漁港・利根川河口の海難(上)

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【戦後70年 千葉の出来事】
銚子漁港・利根川河口の海難(上)

 ■人喰い波、「千人」のみ込む

 「ヨーイ、ヨイヤセ!」。30日早朝。港町に威勢の良い掛け声が響く。銚子漁港を見下ろす高台にある川口神社(銚子市川口町)の階段から、重さ約1トンの大神輿(みこし)が駆け下りるさまは圧巻だ。

 この日は漁師たちが大漁と航海安全を祈願する年に一度の「大潮祭り」。波止場の漁船は一斉に大漁旗を掲げ、港町は祭り一色に染まった。

 神輿は神社から利根川河口に向かって勇壮に練り歩く。小さな丘の手前で、鳴り物がやんだ。担ぎ手たちは神輿を馬に置くと、ねじり鉢巻きをほどき、丘の斜面に並び立つ無数の墓石や石碑に向かって黙祷(もくとう)をささげた。祭りにつかの間の静寂が訪れる。

 ここは「千人塚」。海難事故で犠牲になった海の男たちが眠る場所だ。

 ◆日本の三大海難所

 江戸時代、船頭たちの間では「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」とうたわれ、利根川河口は日本三大海難所の一つだった。

 県銚子漁港事務所が平成16年に作成した「銚子漁港整備史」では、利根川河口で発生する「三角波」が海難の大きな要因だとしている。河口で北から北東の風が吹き続いた場合、外洋から来るうねりと利根川の流れがぶつかり、非常に高い三角波が立つ。河口に出入港する船がこの波を受け、転覆する事故が数多く発生した。かつての漁師はこの三角波を「人喰い波」と呼び、何よりも恐れたという。

 こうした海難犠牲者を供養するため築かれた千人塚の由来には諸説ある。慶長19(1614)年、突風(または大津波)によって漁船が次々と転覆し、水死した千人以上の漁師を埋葬した場所が千人塚という説もあれば、「犠牲者が累積していつしか千人塚と呼ばれるようになった」という解釈もある。

 河口付近での「人喰い波」は、近代に入ってからも猛威を振るい続けた。詳しい記録が残る昭和以降では、昭和2~62年の60年間に21件の海難が発生し、死者・行方不明者は計153人。このうち入港時は15件で犠牲者は126人と、出港時を大きく上回る。

 ◆自分の船で精いっぱい

 昭和13年2月23日、20人の犠牲者を出した地元の巻き網漁船「第二御嶽丸」の遭難も、入港時に起きた。当時事故を目撃した鈴木正次さん(故人)は、著書「大船頭の銚子イワシ話」で体験談を記している。

 正次さんは当時21歳。水たまりに氷が張るような寒い日に出港した。天気が崩れ、海も荒れてきたため帰港する途中、河口で大波に舵をとられた第二御嶽丸が転覆した。僚船から一部始終を見ていた正次さんは、壮絶な事故の様子をこう語っている。

 「転覆した船腹には、20人位の人々がはい上がり、着物を脱いで『助けてくれ、助けてくれ』と叫んでいますが、(中略)大波が次々とやってくるので、近づくこともできません」

 「大波が押しよせるたびに、転覆船の船腹にはい上がっていた人数がだんだん減っていきます。寒い波間に数人の黒いあたまが一瞬浮かびました。この光景はいつまでもはっきり目に焼きついています」

 転覆した船には正次さんの兄が乗っていた。兄を助けに行こうとした正次さんは、先輩に引き止められた。その後、兄は波崎(茨城県神栖市)の浜に流れ着いて無事だった。あの時、正次さんが海に飛び込んでいたら、どうなっていたか分からない。

 「銚子の川口テンデンしのぎ」ということわざがある。利根川河口にさしかかったら最後、自分の船を操るだけで精いっぱいという意味だ。

 正次さんの長男で、後を継ぎ漁船に乗っていた栄一さん(69)=同市清水町=は、自らの経験も踏まえてこう語る。

 「テンデンしのぎを自分勝手という意味で使う人も多いが、それは誤解です。当時の河口は、他人の命を助けようと思っても、それができないほど危険な場所でした」(城之内和義)

                   ◇ 

 今年は戦後70年の節目の年。昭和時代に県内で起きたさまざまな出来事を、証言や記録からひもとく。

                   ◇

【利根川河口の海難死亡・行方不明者数】

       人数 状況 船名    所属 

 昭和 2年 11 入港 龍王丸   川奈 

    8年 9  入港 七五三丸  銚子 

   13年 20 入港 御嶽丸   銚子 

   19年 8  入港 栄造丸   銚子 

   21年 2  出港 康丸    銚子 

   22年 1  入港 最乗丸   波崎

   24年 8  入港 川吉丸   波崎

   27年 1  入港 理一丸   銚子

   33年 4  出港 七面丸   銚子

       7  入港 信明丸   銚子

       2  入港 松丸    銚子

   34年 4  入港 国丸    銚子

       28 入港 幸辰丸   波崎

   36年 1  出港 初栄丸   銚子

   37年 1  入港 明神丸   銚子

   39年 1  出港 幸辰丸   波崎

   42年 1  入港 磯重丸   波崎

   43年 4  出港 全徳丸   大津

       14 入港 稲荷丸   波崎

   44年 11 入港 山仙丸   波崎

   62年 15 出港 65惣宝丸 青森

 計 153 (出港時27人、入港時126人)

 ※昭和以降、銚子漁港整備史より