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【戦後70年 東北の記憶】洞爺丸転覆事故(上) 日本海難史上最悪 犠牲者1155人

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【戦後70年 東北の記憶】
洞爺丸転覆事故(上) 日本海難史上最悪 犠牲者1155人

 その日は朝から風雨が強かった。「とにかく風が強かったことを覚えている。昔の家なので戸がガタガタと音を立ててすごかった」。当時、20歳だった青森市の工藤多命男(ためお)さん(81)は悪天を鮮明に覚えている。工藤さんは市内の船舶会社に長く勤め、洞爺丸の転覆事故をはじめ青函連絡船の歴史についても研究を続けてきた。

 函館海洋気象台によると、昭和29年9月26日未明、九州南部に上陸した台風15号は午後3時に青森県西方約100キロにあって中心気圧968ミリバール(単位は当時)、時速110キロで北東に進み、5時ごろ津軽海峡に最接近すると予想されていた。

 ◆戦後復興のシンボル

 戦後、初の貨客青函連絡船として22年に就航した「洞爺丸」(約3898トン)。白と黒のツートンカラーは威風堂々としたたたずまいを醸し出し、戦後復興のシンボルとして人々の心に一筋の光を与え、本州と北海道を結ぶ大動脈の役割を果たしていた。就航から7年後の29年8月、北海道で開かれた国民体育大会に出席される昭和天皇の御召船にも選ばれた。それからわずか1カ月余りで悲劇に見舞われるとは…。

 9月26日午前11時5分、青森からの下り3便として函館に到着した洞爺丸は、折り返し午後2時40分出航で青森を目指す予定だったが、台風の影響で出航を見合わせていた。夕方から風雨も徐々に弱まったことから6時39分、1337人を乗せて青森に向け出航した。

 しかし、一時的に晴れ間がのぞいていた天候は、急に風雨が強まった。船は函館沖で投錨(とうびょう)し、仮泊。そこを猛烈な暴風と波浪が船体を容赦なく襲った。船体の至る所に浸水が発生。洞爺丸は自然の猛威になすすべもなく、午後10時半過ぎのSOSを最後に北海道七重浜沖で座礁、転覆した。

 ◆ロープつかんでも…

 死者・行方不明者合わせて1155人。日本海難史上、最大の惨事となった。後に「洞爺丸台風」と名付けられたこの台風では第11青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の4隻も悲運に見舞われた。

 「乗員乗客が海に投げ出され、ロープをつかんで必死にこらえても波が来ると離れ、暗い海に消えてしまう…。とにかく恐ろしかったという」

 31年に国鉄に入社し、青函連絡船「空知丸」に乗務経験のある北海道北斗市の新田稔さん(78)は、助かった人から聞いた話として静かに語った。

 台風の目が通過したと思わせるような気象状況、当時の気象観測の解析精度など、いくつもの不運が重なったことで起こった事故。加えて「錨(いかり)を入れた場所が砂地できかず、錨の爪が引っかからなかったのではないか」と新田さんは推測する。青函連絡船を知り尽くした元船員は、約60年前の悲劇を思い、ため息をついた。(福田徳行)

                  ◇

 ■昭和29(1954)年

 2月1日、マリリン・モンローが夫で元大リーガーのジョー・ディマジオと来日し、熱狂的な歓迎を受ける。3月1日、米国がビキニ環礁で行った水爆実験で「第五福竜丸」の乗組員が被曝(ひばく)。7月1日、自衛隊が設立され、同15日にはニッポン放送が開局した。東宝の怪獣特撮映画「ゴジラ」が封切りされたほか、力道山によるプロレスブームも起きた。