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【戦後70年 東北の記憶】酒田大火(上) 圧倒された消防力、教訓に

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【戦後70年 東北の記憶】
酒田大火(上) 圧倒された消防力、教訓に

 日本海に面する山形県酒田市は季節風が強く、しばしば大火に見舞われてきた。「酒田市政50年」によると、500戸以上を焼いた火事は1656年の明暦の大火以来、15回ほどを数えるという。

 酒田大火が発生した昭和51年10月29日も、台風並みの低気圧の影響で、秒速25メートルを超える雨交じりの強風が吹き荒れていた。火元となったのは古い木造の建物を改修した洋画専門映画館「グリーンハウス」。大沼デパート(地上6階、地下2階)に隣接し、市内随一の繁華街の中心部に位置していた。

 午後5時40分ごろ出火。50分に119番通報が入り、53分には消防車が現場に到着したが、猛烈な勢いで火煙が噴き出し、放水したものの水柱は強風で霧状に拡散し、延焼をくい止めることができなかった。

 酒田市は災害対策本部を設置するとともに、デパートの東側の中町地区に避難命令を発令。狭い商店街の道路は家財道具を運ぶ市民でごった返したという。

 ■商店街焼き尽くす

 延焼を抑えていた大沼デパートにも火が入り込み、6階まで一気に炎上。5階の東西両側の窓が破れて吹き抜けとなり、火の粉が遠方に飛んで着火した。火炎は商店街のアーケードを走り抜けて付近を焼き尽くし、さらに東へと扇状に延焼していった。

 商店街で食堂を経営していた後藤美紀雄さん(70)は「風が強かったので心配したが、最初はここまで来ると思わなかった。風向きが東に変わって燃え広がり、火が強くてほとんど水がかからないまま燃えてしまった」と振り返る。「アーケードが煙突の役目をして、火が上に行かずに横に走った感じだった」という。

 30日に日付が変わると、火は酒田港に流れ込む新井田(にいだ)川にまで達し、対岸にも飛び火するようになった。雨が強まるとともにここで延焼をくい止めようと、消防団を中心とする消火隊は対岸からの直上放水で水の膜を作るなどして、ようやく午前5時、鎮圧した。

 後藤さんも焼け出され、近くに姉夫婦が借りていた空き家で一夜を過ごした。「写真や掛け軸は焼いてしまったが、どういう訳かつまらないものだけ持ち出した記憶がある」と話す。

 ■被害総額は405億円

 12時間にわたる火災によって、中心部の商業区域約22・5ヘクタールが焼失、1774棟が灰となった。死者は、グリーンハウスの焼け跡から見つかった酒田市消防長1人。逃げ遅れた人がないか確認に入ったのではないかとみられている。負傷者は1003人。火災の原因は電気配線系統の可能性が高いとされたが、最終的に特定できなかった。被害総額は当時の酒田市の年間予算を大きく上回る405億円に上った。

 酒田大火の特徴として、中央防災会議の報告書は「近代設備を備えた消防力が火災に圧倒された」ことを挙げている。消火用水や消防力の不足がクローズアップされたのに加え、強風による猛烈な火炎と広域拡大、アーケードと延焼の関係、応援を含む多数の消防隊に対する命令伝達の困難などが指摘された。

 これらが教訓となり、全国でハイテク通信システムの導入、非常時指揮・管理システムの強化、商店街の耐火性の向上などの防災対策が取られた結果、酒田大火を最後に、都市大火は震災を除いて発生していない。(本間篤)

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