産経ニュース

エラスムス像への熱い思い…足利出身・丸山瓦全の書簡判読 

地方 地方

記事詳細

更新


エラスムス像への熱い思い…足利出身・丸山瓦全の書簡判読 

 江戸時代、オランダ貿易の契機となったリーフデ号の船尾像「木造エラスムス立像」(国重要文化財)をめぐり、戦前、海外流出阻止に奔走した足利出身で県内考古学の先駆者・丸山瓦全(がぜん)(1874~1951年)とオランダ政府とのやりとりを示す書簡類が、佐野市の郷土史家らの手によって判読された。「此像(このぞう)は我国(わがくに)に残りてこそ日蘭交通史の資料」と記した瓦全の熱い思いが伝わってくる。(川岸等)

                  ◇

 書簡類は、瓦全が生前、「龍江院の貨狄(かてき)像」としてまとめた冊子に収めてあり、ひ孫の丸山直樹さん(61)から預かった足利市教育委員会が昨年12月、初公開した。エラスムス像を所蔵し、顕彰運動を進める龍江院(佐野市上羽田町)の大沢光法(こうほう)住職(69)らは直樹さんの了解を得てコピー、「安蘇史談会」の川田春樹副会長(69)に依頼し、難解な文や表現を判読してもらった。判読された文面は冊子にまとめられた。

 同像は長く同院のお堂に安置され、地域では「カテキサマ」などと呼ばれていた。大正時代、瓦全が学会に報告、ルネサンス期の神学者・エラスムスの像で、リーフデ号の船尾像と判明。オランダ政府の再三の譲渡申し入れに対し、瓦全は国、県に働き掛けて国宝指定(戦後、国重文に指定替え)にこぎ着け、海外流出を防いだ。

 瓦全に宛てられたオランダ公使館の手紙には「日本にありては宗教上から申すも、美術的に見るも、東洋文明上に於(おい)ても左程の意味之(これ)なきもの」と瓦全の翻意を促している。瓦全は返書で「貴国人が懇望せらるるだけ、我々(われわれ)も日本国に於(おい)て保存し度(たく)存じ候」などと拒絶。帰属問題決着後の昭和11年、同像のオランダ貸与が決まった際の同公使館からの礼状には「ロッテルダム市ノ喜悦想像致サレ候」と記されている。そのほか県知事ら宛ての陳情書なども含まれている。

 大沢住職は「地元の宝、エラスムス像を守ろうとする瓦全の熱意をひしひしと感じる」と話し、足利、佐野両市教委などに判読した冊子を贈った。また、直樹さんは「エラスムス像や瓦全研究に役立ててもらいたい」と話している。

                  ◇

【用語解説】エラスムス立像

 リーフデ号は1600(慶長5)年、世界一周の途中、大分に漂着。乗組員にはウィリアム・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨーステンらがいた。船尾につけられていたのがエラスムス立像。高さ121センチ。曲折を経て、江戸幕府の目付役だった牧野氏が手に入れ、菩提寺(ぼだいじ)だった龍江院に納めたとされる。大正時代、丸山瓦全が紹介したことが契機となり、オランダの研究者らによってルネサンス期の神学者・エラスムスの像であることが判明。東京国立博物館に寄託された。