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【戦後70年 語り継ぐ静岡】七夕豪雨(上) 「すべて水の底に沈んだ」

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【戦後70年 語り継ぐ静岡】
七夕豪雨(上) 「すべて水の底に沈んだ」

 ◆不気味な「白い海」

 「土手より高い位置で川が波打っていたんだ。怖いと感じるよりも先に、『不思議だなあ』とただただあっけにとられていた」。静岡市駿河区丸子の柴山信夫さん(90)は、昭和49年の七夕の夜をそう振り返る。

 当時、市水防団丸子川分団の副分団長だった柴山さんは同年6月に起きた宇津ノ谷峠の土砂崩れの再発に備え、数日前に水防団の仲間とともに1千俵あまりの土嚢(どのう)を作り上げたばかりだった。7日午後10時半ごろには、自宅のすぐ近くを流れる丸子川が30分に約1メートル水位を増す勢いで急激に増水。約300人の水防団員に全員出動の指令を出し、準備した土嚢を持って水のあふれ始めた地点に向かった。

 「下流の方が危ないぞ」。日付の変わった8日午前0時過ぎ、水防団の本部に入った急報を受けて現場に駆けつけると、土手の消えた一帯は真っ暗闇の中に不気味に輝く「白い海」と化していた。住民の避難場所となった長田西小学校の運動場も、すでにひざが隠れるほどの水位に。避難してきた住民の「早く開けて」という悲鳴が響く中、警察官が校舎のガラス戸を破り、なんとか難を逃れた。

 車やプロパンガスのボンベが川を流れる異様な光景…。夜通し数十メートルにわたって決壊した2カ所の復旧作業を進め、朝を迎えた。目に映ったのは、「すべて水の底に沈んだ」丸子の集落。柴山さんは放心状態のまま不眠不休で作業を続け、決壊から35時間が過ぎた9日正午、ようやく仮せき止めが終わった。

 ◆41年後の警鐘

 「七夕豪雨」の名で知られる49年7月7日から翌8日にかけての集中豪雨は、総雨量が508ミリに達し、静岡市と清水市(現在の静岡市清水区)で家屋の倒壊や浸水被害が相次ぎ27人が犠牲になった。浸水面積は2584ヘクタールに及び、「巴川流域七夕豪雨二十年誌」には「本県の水害史上特筆すべき大災害」と記されている。

 大洪水で決壊が起きた丸子川や長尾川などの河川では、甚大な被害を受けて県と市が共同で護岸工事を実施。特に勾配が緩く過去にも水害を引き起こしていた巴川は、53年に全国初の「総合治水対策特定河川」に指定された。

 県静岡土木事務所によると、総延長約11キロの丸子川の河川改修工事は平成16年までに完了。巴川流域でも、1秒間に25メートルプール約1杯分の水を流すことが可能な大谷川放水路や、約9300杯分の水をためておける麻機遊水地が整備された。現在は管内の9河川について26台のライブカメラで常時監視しており、同事務所の担当者は「現状で取れる対策はすべて取っている」と話す。

 だが、そもそも「自然」を相手に万全の備えなど存在するのか。“あの夜”から41年。柴山さんは「自分の想像を超えた事態が起き得ることを忘れてしまうのが一番怖い」と警鐘を鳴らす。

 「日頃から備えていても、雨そのものは防ぎようがない。誰かが災害の怖さ、恐ろしさを伝えていかないといけない」(村嶋和樹)

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 今年は戦後70年。県内で発生し、社会に大きな影響を与えた事件、事故の記憶をたどる。

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【用語解説】七夕豪雨

 昭和49年7月7日夜に静岡市付近で発生した集中豪雨。台風8号の影響で梅雨前線の活動が活発になり、県中西部を中心に1時間あたりの降水量が80ミリを超える猛烈な雨となった。静岡市と清水市(現在の静岡市清水区)では各所で河川の氾濫や決壊が発生し、家屋の倒壊や土砂崩れで27人が死亡。翌8日午前9時までの24時間降水量は508ミリに達し、両市で計2万6156戸が家屋流出や浸水の被害に遭った。