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米軍・上瀬谷通信施設、きょう返還 地権者、描けぬ「青写真」 神奈川

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米軍・上瀬谷通信施設、きょう返還 地権者、描けぬ「青写真」 神奈川

 ■契約料打ち切り/意見の対立懸念/インフラ未整備

 終戦後に接収され、横浜市内では最大面積の米軍施設「上瀬谷通信施設」が30日、日本側に返還される。瀬谷、旭両区の区境に東京ドーム約51個分(約242ヘクタール)もの敷地が広がり、フェンスで囲まれたごくわずかの制限区域を除けば、国有地と民有地がほぼ半分ずつを占め、野菜栽培などが認められてきた。市は返還を歓迎するが、約250人いる民有地地権者に支払われていた賃貸借契約料が打ち切られ、農地利用の将来像も見えないなど、地権者らは返還後の「青写真」を描けないでいる。(那須慎一)

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 「こんなことなら、いっそ米軍施設が残った方がよかったくらいだ」

 瀬谷区側の地権者約160人で構成する上瀬谷農業専用地区協議会の岩崎英一副会長(64)は、施設敷地内にある自身の畑を見つめながら、大きくため息をついた。

 通信施設敷地の国有地は、昭和52年に約半分の110ヘクタールが農家に売り渡され、民有地になった。多くの地権者は30年の分割払いで土地を購入。一方で、その土地が米軍施設として利用されていることを理由に、1平方メートル当たり年間数十~260円の賃貸借契約料が国から支払われてきた。

 だが、返還に伴い、この契約料もなくなる。現在は畑として利用されているものの、米軍施設として使用されていた経緯から、念のための土壌洗浄や地下埋設物の有無確認など、原状回復作業が終わり次第、打ち切られるのだ。

 「野菜を作るための費用が上がり続ける中、突然支払いが打ち切られるのは影響が大きい」(岩崎副会長)とショックを隠せない。

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 返還により、地権者の意向が“一枚岩”ではなくなるのではないかとの懸念も、ささやかれる。

 これまでは、国からの契約料を協議会が一旦預かったうえで整備費などに充て、残りの金額を地権者に分配してきた。契約料支払いがなくなることで、協議会から退会する人も想定され、岩崎副会長は「今後は、農業をしっかり続けたい人と、そうではない人との意見の対立が懸念される」と不安視する。

 一方、農地としての土地活用にも大きな壁が立ちはだかる。

 平成7年以降米軍の電波施設はなくなっているが、かつては電波障害にならないよう、「高さ1・5メートル以上の作物も施設も作れず、耕運機も入れられない」(岩崎副会長)といった制約があった。

 現在は耕運機などが入っても電波障害にならないものの、地権者によると、昭和52年の払い下げ時の条件に、「全面返還までは有事の場合には再接収する可能性があり、現状を大きく変えない」という趣旨の内容が盛り込まれており、農地としての開発もままならなかった。

 今だに上下水道や排水溝、電気も整備されておらず、岩崎副会長は今も、自宅の井戸水をタンクにくみ、トラックで運んで畑にまいている。

 今後は気兼ねすることなく、ビニールハウスなどを使った施設栽培も可能になるが、「インフラ整備が進まなければ、農業を発展させるのは難しい状況」(岩崎副会長)だ。

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 地権者の中には、自身の民有地だけでなく国有地でも耕作する人がいる。旭区在住の地権者87人でつくる上川井農業専用地区協議会のうち11人がそうした農家だが、今後国有地での耕作はできなくなる。

 国有地を管轄し、今月末までに耕作中止を求めていた防衛省が、特例として来年6月末までの使用延長を認める方向とはいえ、協議会の阿部幹男会長(72)は「これまで耕してきた畑を手放し、収益が減るダメージは大きい」とこぼす。その国有地も、時限措置後のあり方は未定だ。

 記者は、阿部会長の案内で敷地内を見て回った。特に上川井町寄りの農地は、きちんと管理された耕作地の一方で、農家の高齢化が進むなどして耕作が放棄された土地も多く目についた。農道もほとんど整備されず、車での移動も一苦労する状態だ。これまで農業を続けてきた人々の苦労がしのばれる。

 横浜市内とは思えない光景に驚く記者に、阿部会長は、こうつぶやいた。

 「市中心部がめざましい発展をする中、この上瀬谷通信施設の周辺だけは発展の流れから取り残され、時計の針は止まったままだ」

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【用語解説】上瀬谷通信施設

 横浜市旭区上川井町と瀬谷区北町・瀬谷町に位置する在日米海軍の施設。敷地面積約242ヘクタールのうち、国有地は約110ヘクタール、民有地約110ヘクタール、道路などの市有地約22ヘクタール。旧日本海軍の倉庫施設が終戦で米軍に接収され通信施設となった。昭和22年に接収が解除されたが、朝鮮戦争の勃発に伴い、26年に再接収された。現在、部隊は常駐しておらず、通信用鉄塔などは撤去され、フェンス内には体育館などの施設が残るのみとなっている。フェンス外の多くの土地は、農地や野球グラウンドとして利用されている。