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対露諜報任務で功績、石光真清語り継ぐ 熊本の生家、保存修復し公開

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対露諜報任務で功績、石光真清語り継ぐ 熊本の生家、保存修復し公開

石光真清

 明治時代、南下政策を続けたロシア帝国に目を光らせてきた旧陸軍の情報将校、石光真清(いしみつ・まきよ)(1868~1942)の生家(熊本市中央区本山)の保存修復工事が完成し、一般公開が始まった。石光は諜報活動そのものだけでなく、手記「城下の人」など4部作が文学的にも高い評価を得ている。保存活動に尽力した関係者は「熊本の偉人の功績を次世代に語り継ぎたい」としている。(南九州支局 谷田智恒)

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 石光は幕末、熊本藩士の家に生まれた。少年時代を西南戦争など、動乱の中で過ごした。陸軍幼年学校に入り、日清戦争には陸軍中尉として、台湾に遠征した。日露戦争前の明治32(1899)年、諜報活動という特別任務を帯びてシベリアに渡った。

 日露戦争だけでなく、ロシア革命、シベリア出兵の中で命がけで活動した。実兄の真澄は恵比寿麦酒(現サッポロビール)創業期の幹部であり、橋本龍太郎元首相も縁戚にあたる。

 だが、任務の内容から、石光が長く歴史の表舞台に登場することはなかった。

 石光の死後、手記を基に遺族が「城下の人」など4部作をまとめて発表した。そこには、満州やシベリアの様子が、情報将校ならではの細部にまでこだわった視点と、淡々とした表現で綴(つづ)られていた。近代史の資料としても、文学的にも高く評価されている。

 そんな石光は、軍人を志して上京する明治15年まで、熊本で過ごした。

 生家は木造2階建てで、江戸末期~明治初期の築とみられる。石光は、東京移住後も何度も生家を訪れていたという。

 平成9年に空き家となり、老朽化で解体話も持ち上がったが、地元住民や石光真清顕彰会が保存に動いた。近くに住む前川千鶴子氏(故人)が、自身の所有地と等価交換で生家を土地ごと取得し、24年に市に寄贈した。

 市は26年9月に修復工事に着手した。4千万円をかけ、いったん建物を解体し、柱などの部材を利用して再建した。1階の縁側には、石光の生涯や家系図、「城下の人」など自伝4部作について紹介するパネルを設置した。

 市は今後、子孫から遺品など関連資料の寄贈を受けて、公開も検討する。東京都国立市に住む石光の孫、石光真琴氏(78)は「20年近く地元の人が努力を続け、保存活動が実を結んだことに、子孫として感謝している。石光の遺品や資料を提供し、多くの人に見てもらうことで少しでも恩返ししたい」と述べた。

 市文化振興課の福田寛和氏は「情報将校という仕事柄、活動についても、ほとんど解明されていない。少ない資料から人物像を読み解いていくなど、調査研究も必要だ」と述べた。

 生家は見学自由だが、内部に入るには予約が必要。問い合わせは市文化振興課(電)096・328・2039。

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