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【語り継ぐ陸軍桶川飛行学校】(6)息づかい伝える「生きた戦跡」

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【語り継ぐ陸軍桶川飛行学校】
(6)息づかい伝える「生きた戦跡」

 ■資料館など整備へ市も本格的に始動

 「天皇陛下からのお言葉があるらしい」

 昭和20年8月15日、桶川飛行学校に勤務していた整備員らは兵舎前の庭に集められ、整列して玉音放送に耳を澄ませた。

 「日本は負けたんだ」「ああ、負けたんだ」。整備員らは互いに言い聞かせ、肩を落とした。その場にいた町田光蔵さん(85)=桶川市=は「頭に来たというか、がっかりというか。負けたと分かって、何もする気が起きませんでした」と思い出す。その日は仕事もなく、早い時間に帰宅させられたという。

 ◆焼かれた資料

 4月5日に第79振武隊が出発した後、学生や教官らは北海道の民間飛行場に、整備員の一部も北海道や福島県の飛行場に移ったが、桶川に残り機体整備や滑走路の草取りをした人もいた。5、6月ごろには空襲を避けるために格納庫が壊され、飛行場としての機能はほとんど失われていた。

 さまざまな噂が飛び交った。「進駐軍が来れば逮捕され、一生奴隷として過ごすんだ」。戦争に関わった証拠を消すため、学校に残っていた写真や訓練日誌などの関係資料は全て焼かれた。「今考えれば嘘だって分かるのにね。写真や資料があればきっと思い出せることがあるのに」。4年間にわたり整備員を務めた北本市在住の柳井政徳さん(89)は悔やむ。

 進駐軍が駐留し、残っていた飛行機や火薬が処分された。半月ほどすると、整備員は飛行学校に呼び出され、パイロットが操縦時に食べる栄養価の高い航空食をもらった。「ここにあるのを持っていっていいよって。あの頃はろくなものを食べてなかったから、乾パンやようかんをもらってうれしかったなあ」。町田さんの表情がほころぶ。

 20年9月から桶川町(現桶川市)が仲介して、大陸からの引き揚げ者が入居した。一般的に飛行学校の跡地は自衛隊基地や工業団地として整備されることが多かったが、桶川飛行学校は校舎が狭く、滑走路まで遠かったため、整備されることなく木造兵舎が残った。戦跡としても注目されないまま、長い時間が過ぎた。

 ◆保存運動

 連載初回で紹介した鈴木義宏さん(63)らが同校の歴史を発掘し、NPO法人「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」を設立したのは平成17年だった。19年3月、最後の住人が退去。市は22年に土地を更地にして国に返す契約だったが、同会の呼びかけで保存を要望する署名が約1万4千人分集まり、市は同年、敷地を購入。今年3月には行田市のものつくり大学と協定を結び、保全整備に向けて本格的に動き出した。市の担当者は「2年後くらいの着工を目指し、戦後75年の節目には資料館などを開館したい」という。

 ◆語り部の思い

 同会の会員は130人余り。実際に活動しているのは当時を知る70~80代の十数人で、特攻機に同乗した柳井さんは3月末、体力の限界から、語り部として定期的に訪れるのをやめた。それでも依頼があれば、今でも見学者に数時間かけて解説をしている。「今の人には分かってもらえないだろうが、人間が人間じゃなくなってしまう、それが戦争なんです。戦後70年、日本が戦争もせずに平和で豊かな時代が続いているのはなぜか。改めてこの場所に来て見つめ直してほしい」

 整備された記念館も復元された飛行機もない、ただ当時の木造兵舎と同会手作りの展示資料だけがある現在の桶川飛行学校。それでも、古びた木肌は何かを語りかけてくる。鈴木さんは「ここは最前線の基地ではないが、当時の学生たちの息づかいや生活感を感じられる、数少ない“生きた戦争遺跡”なんです」と意義を語った。(川峯千尋)=おわり