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【語り継ぐ陸軍桶川飛行学校】(4)練習機は沖縄の海に向かった

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【語り継ぐ陸軍桶川飛行学校】
(4)練習機は沖縄の海に向かった

 ■宿で特攻隊員と酒酌み交わし

 桜が美しい季節だった。桶川飛行学校で整備員をしていた柳井政徳さん(89)=北本市=は、特攻機に同乗して上空から見下ろした瀬戸内海の満開の桜に、思わず息をのんだ。「日本にはこんなに美しい景色があるのか」。大空から眺める景色は、戦争中であることを忘れてしまうほど穏やかなものだった。

 ◆出発の日

 吹き流しを標的に見立てた特攻隊員による厳しい訓練が続くさなか、昭和20年3月27日、山田信義少尉=当時(27)=を隊長とする12人に第79振武隊の編成が命じられた。柳井さんを含む整備員6人も山口県の小月飛行場までの同乗を指示され、出発までの日を慌ただしく過ごした。

 4月5日、桶川飛行学校は風のない穏やかな朝を迎えた。柳井さんは数日前に機体を灰褐色に塗り替えた九九式高等練習機の試運転を済ませ、待機していた。壮行式が終わり、第79振武隊の山本研一少尉=同(22)=に異常がないことを伝えると、後部座席に乗り込んだ。

 どこから噂を聞きつけたのか、堤防には多くの人が詰めかけ、手ぬぐいや帽子を振って見送ってくれた。離陸すると間もなく、荒川にかかる太郎右衛門橋の上に、大きな日の丸を振る数人の男性の姿もあった。

 ◆惜別の翼

 約260キロの飛行を続け、岐阜県の各務ケ原(かがみがはら)飛行場に到着。宿で風呂と夕食を済ませると、隊員の一人が一升瓶を持って整備員の部屋にやってきた。「お世話になりました。一献、酌み交わしましょう」

 柳井さんはその時の味を「あまりうまい酒ではなかった。いくら覚悟を決めていたとはいっても、酒でも飲んで紛らわしたかったのかなあ」と振り返る。

 翌朝、飛行機は小月を目指して再び飛び立つ。京都上空にさしかかると、山本少尉は編隊から離れ、後部座席を振り返ってにこにこと笑った。京都は山本少尉の出身地。一気に高度を下げると、風呂屋らしき煙突の周囲を2、3回旋回した。近くの民家には、少尉の家族とみられる人々が日の丸を振っていた。

 「あらかじめ電報で知らせていたんでしょうね。後部座席の天蓋を全開にして、私も左右に手を振りました。まだ22歳の少尉がどんな思いで故郷の空を飛んだのか、胸中は察するにあまりある」。山本少尉は別れを告げるように翼を左右に振ると、何事もなかったように編隊に戻った。

 ◆桜の枝とともに

 次の日、柳井さんは一番に飛行場に駆けつけて試運転を終わらせ、「無事に飛んでくれよ」と願いを込めて機体をたたいた。15歳ぐらいの女子挺身隊員が桜の枝を持ってきた。それを操縦席の左側にくくり付け、山本少尉の到着を待った。

 機体を引き渡すと、山本少尉は笑顔で「ご苦労さん」と告げ、操縦席に乗り込み異常がないことを確認した。手を振って「車輪止め外せ」の合図を送ると、山本少尉は手招きをして柳井さんを呼び寄せた。「変わったことはないはずなのに、なんだろう」と思いながら近づくと、「世話になったな。整備班に戻ったら、みんなによろしく伝えてくれ」。やっとの思いで「成功を祈ります」と答え、あとは言葉にならず、少尉の顔が涙でにじんだ。

 特攻機を見送った後、整備員は列車で桶川飛行学校に戻った。しばらくしてから、第79振武隊が沖縄海域の米艦船に突入したことが知らされた。12機は鹿児島県の知覧基地へ向かい、4月16日、沖縄海域へ出撃。陸軍で初めての練習機による特攻だったといわれている。(川峯千尋)