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【日本の源流を訪ねて】ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市)

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【日本の源流を訪ねて】
ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市)

 ■響くモーター音 近代化の象徴

 明治以降、日本の近代化のエンジンとなった三菱重工業長崎造船所。大型船を係留した巨大なドック、建物群、重機が、長崎湾岸に約2キロにわたって連なる。最近は、技術の粋を集めてここで作られた戦艦「武蔵」が、撃沈されたフィリピン沖の深海で見つかり、「武蔵のふるさと」としても注目を集める。

 そんな長崎造船所の中でも「ジャイアント・カンチレバークレーン」は、ひときわ存在感を放つ。日本初の電動クレーンだ。

 スコットランド製で、明治42(1909)年に長崎造船所が輸入した。塔の上にアームが横向きに載っている形から、「ハンマーヘッド型」とも呼ばれる。

 高さ約62メートル、アーム部分の長さ約75メートルの巨大クレーンは、造船所内の機械工場で作った蒸気タービンや船舶用大型プロペラといった製品をつり上げ、出荷用の船に積み込む。150トンまでつり上げる怪力の持ち主だ。クレーンのモーターのうなる音が、三方を山に囲まれたすり鉢状の湾内に響く。100年以上、変わらぬ長崎の象徴的な音だ。

 長崎造船所の起源は、江戸末期、徳川幕府が開設した西洋船舶の修理工場「長崎鎔鉄(ようてつ)所」に遡(さかのぼ)る。維新後は一時、官営長崎造船所となり、明治20(1887)年、三菱グループ創業者の岩崎弥太郎(1835-1885)が政府から購入した。以来、数多くの艦艇、客船、商船を造ってきた。

 明治41年には、船舶や工場に使われる国産初の蒸気タービンを製造した。造船所の名称だが、船に限らず、産業の発展に大きな功績を残してきた。

 岩崎は「国家的観念を以て全ての事業に当たれ」との家訓を残し、「奉国」に立脚しつつ東洋を代表する事業家たらんとした。

 長崎造船所は原爆の被害も軽微で、クレーンは現在もなお、現役で稼働している。日本が近代化を成し遂げ、世界有数の産業大国となる歴史を支えてきたといえる。

 昨年夏には、スコットランド行政府が重要文化財をデジタルで記録する事業の対象に、このクレーンが選ばれた。ユネスコの世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つでもある。

 昨年7月、東京で開かれた産業遺産国際会議では、有名な「軍艦島」(長崎市)をおさえて、専門家の間で最も話題にのぼったという。英ニューキャッスル大のブライアン・ニューマン博士は、「推計では同タイプのクレーンは世界で48基作られたが、残っているのは少ない。象徴性、国際的な重要性を持つ」と称賛した上で、「生き残りは日本政府、三菱、長崎県に委ねられている」と熱視線を送った。(田中一世)