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【静岡古城をゆく】引馬城(浜松市中区元城町) 梯郭状に配置された曲輪 

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【静岡古城をゆく】
引馬城(浜松市中区元城町) 梯郭状に配置された曲輪 

 徳川家康は織田信長に従って越前朝倉氏・近江浅井氏との激戦に明け暮れる中、元亀元(1570)年7月、まず磐田市見付に城之崎城を築き始めた。

 しかし、武田信玄との対立は不可避とみて、信長の考えで現在の浜松城北東域にあった引馬(ひくま)城(曳馬城、八幡神社境内)を接収し、西丘陵上を取り込んで浜松城と改め、遠江支配の一大拠点とした。その模様は「当代記」に「家康公、此秋ヨリ翌春中迄、遠州見付城(城之崎城)普請在之、此六月、従見付浜松家康公移給、先故吉良飯尾豊前カ古城ニ在城、本城普請」と記されている。

 遠江国守護職は室町期より斯波氏で、引馬城のある浜松荘一帯は斯波氏配下の吉良氏が領有し、代官の大河内貞綱が守備していた。本格的な遠江侵攻を展開した今川氏親期に、貞綱・弟の巨海道綱ら多くが戦死し落城したが、その後、京都から招かれた飯尾賢連が入り今川氏の支城となった。

 同城については市街化が大きく進んだため、所在地について八幡神社ではないとする説もあった。近年、浜松市による同境内の発掘調査や史料分析により本丸の曲輪が発見され、南へ梯郭(ていかく)状に配置された曲輪だったことが分かった。また、大手は東側の古式なクランク道路である「下垂口」と分かり、今も環境が理解でき興味深い。

 (静岡古城研究会会長 水野茂)