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「赤坂御用地」は紀州徳川家献上の江戸屋敷

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「赤坂御用地」は紀州徳川家献上の江戸屋敷

 迎賓館や東宮御所、秋篠宮邸のほか、春・秋の園遊会が催される赤坂御苑などがある「赤坂御用地」(東京都港区)。これらの敷地が江戸時代、紀州徳川家の土地だったことはあまり知られていない。当時の様子を描いた「赤坂御庭図画帖」(江戸時代)が和歌山市立博物館から図録として発行され、洗練された庭園の様子がうかがえる。「皇室に献上されたからこそ大切に受け継がれた土地」と同館。今月21日には、かつて紀州のお殿様が優雅に過ごした場所で、園遊会が開かれる。

 紀州徳川家は、江戸に20以上の屋敷を構え、公的な施設は上屋敷「麹町邸」で、藩主が暮らした私的な中屋敷が「赤坂邸」だった。この赤坂邸が、現在の赤坂御用地となった。

 江戸幕府が崩壊して明治に入ると、赤坂邸は紀州藩士らが引き上げたため荒れた状態となり、本殿は赤坂離宮として宮内省(当時)の管轄となった。明治6年には皇居が火災に遭ったため、赤坂離宮が「仮皇居」として使用され、その際に赤坂邸全域が紀州徳川家から宮内省に献上されたという。

 現在の迎賓館赤坂離宮は赤坂邸の本殿跡にあたり、各宮家の邸宅は紀州藩の邸宅などがあった場所とされる。当時と現代の地図を比較しても、紀州藩・赤坂邸と赤坂御用地は、敷地の範囲もほとんど変わっていない。

 和歌山市立博物館の近藤壮学芸員は赤坂御用地について「現在立ち入れないため確認はできないが、地図や衛星写真などから推測すると、庭園の地形などはほぼそのままの状態で受け継がれているとみられる」と話す。

 紀州藩・赤坂邸にあった庭園「西園」を描いたのが、「赤坂御庭図画帖」(和歌山市指定文化財)。10代藩主・徳川治宝の時代のものとみられ、西園は、尾張徳川家の「戸山園」、水戸徳川家の「後楽園」とともに徳川御三家の名園といわれた。

 西園には、窓から富士山が見える「望嶽亭霽色」、藩主が田舎暮らしを体験するため庶民の農家を再現した庭園「長生村仲夏」、盆栽が並び温室も設けられた大園芸植物園「向陽亭」などがあった。和歌山市立博物館が発行した図録では、こうした絵図とともに、当時招かれた文人らが詠んだ和歌なども添えられている。

 近藤学芸員は「赤坂御用地と和歌山の関係を知らない人も多い。皇室に献上されたことで時代を越えて残された」とし、「園遊会に招かれることがあれば、そのときの参考にも」と話していた。一冊600円。問い合わせは同館(電)073・423・0003。