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桜咲く父の故国へ 比残留日本人2世、きょう熊本初訪問

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桜咲く父の故国へ 比残留日本人2世、きょう熊本初訪問

都甲チェリー氏が肌身離さず持っていた両親の結婚写真

 戦前、フィリピンに渡った熊本県の男性と、現地女性の間に生まれた女の子が27日、七十数年を経て、父の故郷・熊本を初めて訪問する。残留日本人2世の都甲(とこう)チェリー氏(75)は、生後間もなく父が他界し、日本国籍も取得できなかったが、両親の写真が決め手となり、ルーツが判明した。(谷田智恒)

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 チェリー氏はフィリピン最西端のパラワン州に住む。日本財団(東京)が現地のNPO「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)と取り組むフィリピン残留日本人2世の国籍回復支援事業の対象者として、来日することになった。

 日本財団によると、チェリー氏の父は1932年頃、フィリピンに渡り、パラワン州の鉱山で採鉱責任者として働いた。現地女性と結婚し、39年4月13日にチェリー氏が生まれた。だが、生後5カ月の頃、父は患っていた結核が悪化し、亡くなった。

 母一人子一人の心細い生活を送る中、大戦が勃発した。反日感情が高まった際には、小学校で「日本人の子」といじめられることもあった。だが、亡き父の思い出が支えになった。

 日本で桜が咲く時期に生まれたことでチェリーと名付けられたと、母から聞かされた。「きれい好きだったお父さんはお前をとても愛し、蚊やハエがお前の体に止まることさえいやがっていたんだよ」。母の言葉に、父の姿が浮かんだ。

 チェリー氏は大学卒業後、小学校教師となり、フィリピン人の夫との間に5人の子供を育てた。すでに退職し、夫は亡くなった。今は子供と孫2人に囲まれ、穏やかな毎日を送る。

 それでも、父や日本への思いが消えることはなかったという。

 運命の歯車が動き出したのは2006年。パラワン州を訪れていた日本人の通信社記者と知り合い、マニラ日系人会を紹介された。その縁でPNLSCに、父について調べてもらうよう依頼した。

 母に聞かされていた父の名は「トーゴ・ヒデオ」。当時のパスポート記録に照会すると「熊本県龍野村(現・甲佐町)都甲秀雄」の記載があった。

 決め手となったのが、チェリー氏が肌身離さず持っていた両親の写真だった。

 PNLSCの担当者が、熊本市に住む秀雄氏の親族を訪ねたところ、その家にも同じ写真があった。秀雄氏が生前、結婚前後に撮影したと見られる写真を送っていたのだ。

 誕生時に父親が日本国籍であれば、その子にも日本国籍が与えられる。だが、チェリー氏は、戦中の混乱もあり無国籍だった。日本財団とPNLSCの支援を受け、日本国籍を求めて昨年11月、東京家裁に国籍取得を求めて、申し立てをした。また、都甲家の墓参りと親族との対面を目的に、来日することになった。

 チェリー氏は日本財団を通じ、「父の身元が判明したと伝えられたとき、そのうれしい知らせに私は号泣しました。父の故郷である日本を訪れ、父の親類にも会いたい。そして、いつの日か国籍を取得したいと思います」と喜びを語った。