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【県立浦和図書館物語】(3)改築で警察署に引っ越し

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【県立浦和図書館物語】
(3)改築で警察署に引っ越し

 「古くて不便なこともたくさんあったが、親しみやすい場所だった」

 昭和26年から埼玉県立図書館(当時)で約10年働いた男性は、当時を懐かしむ。書架は放射状に設置され、全ての書架を見渡せる位置に職員が座っていた。その席の脇に置かれた火鉢を常連の利用者が囲み、職員と文学について話し込むこともしばしばあったという。

 ホールではモーツァルトやベートベンなどの曲のレコードコンサートが行われ、上演の日にはたくさんの人が集まった。

 ■老朽化

 館内には英文図書室も設けられた。これは埼玉会館別館に置かれた連合軍埼玉軍政部の軍政官、ティモシー・ライアン中佐の手によるもので、同氏は21年6月から始まった夜間閲覧を助けたり、館長の韮塚一三郎らに「図書館をこのままにしておいて恥ずかしくないのか」と強く改築を勧めたりと、図書館行政に積極的に関わった。

 25年ごろの同館の外観について、英文図書室に勤めていた小山政子は「埼玉県立浦和図書館50年誌」で、「まるでヨーロッパ中世の館のようにしっとりとした風情」と記している。

 「高校を出てまだ数年、自称文学少女だった私は、あのバルコニーを見る度に『ロミオとジュリエット』の中の切なくも美しい名場面を思い浮べずにいられなかったものです」

 バルコニーとは鳳翔閣のことで、戦後間もない浦和でこの建物が異彩を放っていたことは想像に難くない。

 だが、木造館舎の老朽化は、いや応なく進んでいた。

 ■鉄コン造りに

 25年に館舎内外に大改装を施したが、利用者から修改築を求める声が高まり、31年度には20万円の図書館改築調査費を計上して埼玉県立図書館改築促進委員会が設けられた。

 当時は県内でも鉄筋コンクリート造りの建物が現れ始めた頃で、新館舎はこの「最先端」を採用。設計を担当した県の柳武(やなぎ・たけし)県営住宅課長は「まさに画期的なことで、我々建築課の設計スタッフもそれなりに大いに張り切ったものでした」と「思い出の図書館」(昭和53年刊行)に記している。

 改築中の34年3月~35年3月、図書館業務は浦和市仲町にあった旧浦和警察署内で行われた。入館者は1日平均120人ほどあったが、閲覧室には閲覧机5、椅子24が確保されているだけで、資料も一般図書約6千冊などと少なかった。

 34年7月の「図書館だより」創刊号には、「事件のため、時には読書の興味をさまたげられ、また道路に面しているので自動車の騒音に悩まされるわけで、何とも申訳なく思います」というおわびが掲載された。

 ■出先の交流

 一方、敗戦後の人々に力を与えた移動図書館は健在だった。音楽を鳴らしながら走り、夜には校庭で映写会を行い、地方の住民に文化の潤いをもたらす欠かせない存在となっていた。

 行く先々での交流は職員にとっても楽しみで、さいたま市浦和区の調(つき)神社宮司、吉田正臣さん(54)は、移動図書館職員を一時務めた前宮司の父親、一則さんについて「当時のことを話すときは『あっちこっち行ってトラブルもたくさんあったけど、楽しかった』といつもうれしそうだった」と思い出す。

 35年5月、新館舎の落成祝賀会が埼玉会館ホールで盛大に行われた。建物はコンクリート素地のままの「打ちっ放し」で、天井にはハギや竹をそのまま使うなど意匠が凝らされた。図書館は新たな歴史を刻み始める。