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【県立浦和図書館物語】(1)敗戦の虚脱に「一点の光」

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【県立浦和図書館物語】
(1)敗戦の虚脱に「一点の光」

 JR浦和駅から県庁方向へ歩いて約7分。日曜日の22日、県立浦和図書館には多くの利用者がいた。3階の閲覧席は社会人と学生でほぼ満席。古びた施設は落ち着いた雰囲気を生み、2階の新聞閲覧台の前で長い時間を過ごす年配の男性もいる。静かな時間が流れるいつも通りの光景だが、入り口には、「3月31日をもって浦和図書館を廃止することにいたしました」との張り紙が掲示されていた。

 ■廃虚

 「これが図書館か」

 終戦翌年の昭和21年4月、元熊谷青年学校長で、県立埼玉図書館(現県立浦和図書館)館長に就任した韮塚一三郎=当時(46)は、絶句した。

 韮塚の著書「忘れえぬ人びと-教育五十年-」(埼玉新聞社)によると、戦時中に館内を占めていた軍需管理部などが敗戦で去った建物は廃虚そのもので、書庫の窓が開け放たれたままさび付き、雨が吹き込んでいた。日の当たらない館長室は、春の陽気に反して身震いするような寒さだった。

 ■不思議な糸

 韮塚は明治32年、深谷の農家の長男に生まれた。農業を継ぐため中学進学を諦めたが、親戚の勧めで埼玉師範学校を受験し合格。卒業後は教員になり、学校で図書主任を務めたり、下宿先に町立図書館が引っ越してきたりした。「私と図書館との縁は、ふしぎな糸に結ばれていたようにおもう」と回顧している。

 昭和20年8月15日、終戦の詔勅に落涙した。

 「大正デモクラシーの時代、自由に楽しい生活を送った教え子の多くが不幸戦場で散華しているのをおもうと、腸がちぎれるおもいがする」

 その後、舞い込んだ県立図書館再興の依頼には「こんな幸福はない」と快諾。文化国家を目指す戦後日本の将来を開拓する仕事に身を投じた。

 ■「むさしの号」

 着任1カ月後の21年5月1日には、20年3月から中止していた図書閲覧を再開した。23年に川越、熊谷に分館を開設し、25年の図書館法改正に基づき条例などを整備。同年、念願だった県内初の移動図書館「むさしの号」を発足させた。

 「本を身近に届けることによって人々が虚脱状態から脱してもらいたい」。それが韮塚の思いだった。「埼玉の移動図書館-30周年記念-」(県移動図書館運営協議会会長 高橋庄次郎編集発行)に残された市民の文章からは、韮塚の思いが人々に届いたことが分かる。

 「あの敗戦直後の混乱期、衣食住が極端に不足していた時に、移動図書館の貸出しは、県下に一点の光を与えて下さいました。人々の心の荒廃しきった時に、何とすばらしい出来事ではありませんか」

 「『こちらは移動図書館むさしの号です。簡単な手続きで1カ月間借りられます。費用は無料です』とのスピーカーからの声、物価高にあえいでいた我家は、最後の無料ですの一言に、それっ!とばかり指定の場所へペダルをふんで駆けつけました」

 ■11年間の奮闘

 韮塚は32年7月で同図書館を離れ、大宮市教育長などを歴任し、平成5年に93歳で没した。

 同図書館に昭和20年代半ばから約10年間勤務した現在80代の男性は、韮塚について「館長室にいて一緒に仕事をしたのは少なかったが、文学的素養を持っていて、研究者のようでもあった」と、その横顔を思い出す。

 離任後の35年、韮塚は同図書館の改築落成式に出席した際、友人だった有山●(たかし)・日本図書館協会事務局長が述べた祝辞についてこう記している。

 「(有山は)祝辞の中で、私がオンボロの館舎の中で頑張って、今日の基礎を築いたことに言及することを忘れなかった。私はポロリと一滴の涙がおちた」

                  ◇

 大正11年に開設され、戦前戦後を県民とともに歩んだ県立浦和図書館が、3月末で閉館する。その93年に及ぶ歴史を、資料と関係者の話からたどってみたい。

●=山かんむりに松