産経ニュース

兵庫城の内堀を確認、専門家「格式ある城」

地方 地方

記事詳細

更新


兵庫城の内堀を確認、専門家「格式ある城」

今回の発掘調査で二重構造と確認された兵庫城の堀。手前は石垣=神戸市兵庫区(神戸市教育委員会提供)

 神戸市教育委員会は、旧中央卸売市場本場跡地の兵庫津遺跡(同市兵庫区中之島)から、戦国時代(16世紀後半)の兵庫城築城当時の内堀や外堀が確認され、堀が二重構造だったことが判明した、と発表した。兵庫城は織田信長が家臣に命じて築城させたとされる。専門家は「防御と格式を意識した造りから、重要拠点であったことがうかがえる」としている。

 兵庫津は平安末期、平清盛によって本格的に開かれた貿易港。兵庫城は戦国時代の天正8(1580)年、信長の家臣、池田恒興が兵庫津内に築城した。豊臣秀吉の直轄地だったこともある。

 これまで、兵庫城の堀は一重構造と考えられていたが、昨年2月から始まった発掘調査で、城の東南部に位置する内、外の堀の遺構が確認された。外堀は全長222メートル、最大幅約18・5メートル、内堀は全長69メートル、最大幅16・8メートルで、2つの堀の間に、二の丸があったこともわかった。

 二の丸から本丸に入るための出入り口は2カ所あり、信長や秀吉ら最高権力者専用の通行口と、それ以外に分けられていたとみられる。

 また、戦国時代末期の城郭では珍しい、石垣(高さ約1メートル)も堀の両側で見つかった。一部に修復した跡があり、文禄5(1596)年の慶長伏見地震で被害を受けた可能性があるという。

 調査に立ち会った奈良大学の千田嘉博学長(城郭考古学)は「出入口が区別されるのは『格式ある城郭』だったのではないか」とコメントした。

 現地説明会は31日午前11時~午後3時半。遺構や出土品などが見学できる。小雨決行。当日の問い合わせは、兵庫津遺跡発掘調査事務所(電)090・2352・5613。