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【ふるさとを語ろう 九州・山口財界人国記】江頭敏明さん

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【ふるさとを語ろう 九州・山口財界人国記】
江頭敏明さん

「運動会の観覧席は壮観でした」と長崎東高校時代の思い出を語る江頭敏明・三井住友海上火災保険会長(野村成次撮影)

 □三井住友海上火災保険会長 江頭敏明さん

 ■転校機に人生初の丸刈り

 生まれは長崎市です。ベビーブームの真っただ中で、小学校は1クラス60人近く、1学年は10クラスを超えていました。サラリーマン家庭に育ち、中学校まではわりと勉強ができる方でした。

 高校は長崎東高に進学しました。高校でとくに名物だったのが秋の運動会です。長崎の伝統の祭り「長崎くんち」では、会場の諏訪神社に巨大な桟敷席が設置されます。長崎東高の運動会では、これを模して観覧席を校庭に作り上げるのです。壮観の一言でした。

 ただ、設営作業は労苦を伴いました。近所の山から孟宗竹を切り出し、2人1組で30~40分かけて学校に運ぶんですよ。

 そんな高校生活も2年生の1学期でピリオドを迎えました。父親の転勤で北九州市に引っ越したのです。

 転入先は門司高校(現門司学園高校)。夜行列車に乗って1人で試験を受けに行ったことを覚えています。

 何となく福岡は都会というイメージを抱いていましたが、リベラルだった長崎の高校に比べると、かなり違いました。代表的な事例が髪形。長崎東は長髪が認められていましたが、北九州の県立高は丸刈りでした。

 転入試験の時は、教師から「ちょっと待ってろ」と言われ、その場で採点されて、合格が決まりました。そして「坂を下りた場所に理髪店があるので、そこで丸刈りにして明日から出校するように」と命じられます。私にとって丸刈りは初めての経験。かなり大胆に刈ったつもりですが、「まだまだ厚すぎる」と指導を受け、再び理髪店に足を運びました。

 靴も変わりました。長崎時代は革靴だったのですが、ズック靴を履いて通うようになります。

 転校したことによって大学入試の目標も変わりました。福岡の授業は長崎に比べてかなり進んでおり、数学がまったく分からなくなったからです。このため理数系を捨てざるを得ず、国立大学をあきらめました。

 親が東京の学校に通っていたこともあり、「東京の私立大学に進もう」といった気持ちが自然と固まっていったのです。

 大学は慶応です。昔から「サラリーマンになりたい」といった思いがあり、父の勧めもあって大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)に入社しました。

 てっきり東京でスタートを切ると思っていたのですが、最初の赴任地は福岡。当時は「ふるさと人事」に力を入れているときで、出身地に配慮した配属が多かったんですよ。仕事は地域の代理店を担当するリテール営業。6年間にわたって春日原(福岡県春日市)にある独身寮に住み、毎日のように中洲で先輩や代理店の方と酒を酌み交わしました。給料はほとんど無くなりましたが、社会人人生の土台を築いたと自負しています。

 転校したため、高校時代の友人は多くはありません。長崎東時代の同級生は、何人か知っている程度。門司高に通っていた期間も中途半端だったせいか、OB会などの案内もありません。

 それでも、門司高出身の4人とはすごく仲良くしています。上京して最初に住んだのは目黒ですが、大学がバラバラでありながら近所に住み、お互いに仕送りの時期がずれていたこともあって、共同生活みたいなことをしていたからです。

 彼らは東京でサラリーマン生活を送っていたのですが、現役を退き福岡に戻り、頻繁に会ってゴルフや旅行を楽しんでいるようです。

 「お前も早く引退して仲間に加われ」とも言われますが、やるべきことが、たくさんあるので、もうしばらく待ってもらいます。(伊藤俊祐)

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【プロフィル】江頭敏明

 えがしら・としあき 福岡県立門司高校(現門司学園高校)、慶応大法卒。昭和47年、大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)入社。社長を経て平成22年4月から現職。26年6月にMS&ADインシュアランスグループホールディングス代表取締役執行役員。66歳。長崎県出身。