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【想う 4年目の被災地】
1月 青巣稲荷神社禰宜・藤本和敏さん(45)
■地域のよりどころ再生へ 「神様は参拝する人の心にいる」
東日本大震災から4度目の正月がやってきた。日の出とともに明るい光が差し、雑草が生い茂る被災地を照らした。
宮城県山元町の海岸に冷たい風が吹き付ける。初日の出を背に、藤本和敏さん(45)は震災からの復興を願う祝詞を読み上げた。気付けば周囲には20人ほどの地元住民が集まり、涙を見せる姿もあった。
藤本さんは同町にある青巣稲荷(あおすいなり)神社で禰宜(ねぎ)を務める。神職歴わずか4カ月。社務所の本棚には神道を学ぶ本が並んだまま。それでも地域のよりどころを守るために、神々の世界へ裸一貫で飛び込んだ。
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宮城県神社庁によると、青巣稲荷神社の創建は大同2(807)年とされる。平安時代から続く由緒正しい神社だ。同町花釜地区の住民に愛され続けてきたが、震災で本殿も鳥居も全て流されてしまった。
藤本さんは名取市で福祉の仕事をしていた。震災後に山元町へボランティアに入り、がれきの片付けをする中で、平成23年5月に同町の普門(ふもん)寺の坂野文俊住職と出会う。同寺で流された遺骨集めや法要を手伝う中で、檀家との交流などを目にし、心境に変化が出てきた。
「寺も何もなくなったら地域は元に戻らない。今がつらくても、頑張れるような心のよりどころが必要なんだ」
寺のボランティアと同時に、神社の再建にも力を注いでいた。神社から流された鐘を発見し、鐘付き台を被災家屋の廃材から作ったり、夜間のライトアップなども実施。震災後に、同地区から住民は減ってしまったが、なんとかして人が集まるように工夫を重ねた。寺院には宗派の違いや檀家制などがあるが、神社は地域住民全員のもの。神社の再建は地域の絆の再生に欠かせないと考えていた。
転機は昨年1月に訪れた。神社の前任だった宮司が退任を表明。もともと高齢だったため、満足な活動ができていなかったのだ。
後継者はいない。神社の再建に尽力していた藤本さんに白羽の矢がたったのは自然の流れだった。周囲の期待も感じていた。数日悩んだが、気持ちを固めた。こうして同年8月から神職養成講習会に参加し、9月に資格を獲得。11月に神社の禰宜に就任した。
「神様は参拝する人の心にいると思う。津波で流されたらいなくなるわけじゃない。神社に宮司がいないと意味がないので何とかしたかった」
自宅に神棚はなかった。日本の神様で知っているのは数えるほど。寺社をめぐって御朱印を集めることがブームになっていることは、聞いたこともなかった。それでも誰もやらないなら自分がやる。藤本さんの決意が実った瞬間だ。
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同地区には約350世帯があるという。その中で今年の三が日は200人以上の参拝客が訪れた。
社務所はプレハブで、社殿も仮設。おみくじはあるが、お守りはまだ作っていない。津波で神社に伝わる古文書などは流出してしまったため、独学で動きなどを学んでいる。苦労も多い。それでも、神社は地域にとって必要不可欠な存在になりつつある。今夏には宮司になるための研修にも参加予定だ。
藤本さんは、宮司になったあとの未来も見据える。
「例えば神楽を作って津波の伝承を入れたりしたい。500年続いた伝統だって、500年前には始めた人がいる。心のよりどころになることも大事だけれど、記録を残していくことも、地域の神社にとって大切なことだと思う」
震災を機に、町を離れた人も多い。神社の周囲を見渡しても、建造物は少なく、荒野が広がる。地域に根ざした神社の再建を呼び水に、復興の歯車を回す。(木下慧人)
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【プロフィル】藤本和敏
ふじもと・かずとし 昭和44年、広島県廿日市市生まれ。仙台大学(宮城県柴田町)に進学後、名取市で福祉関係の仕事に就く。震災ボランティア活動に従事し、青巣稲荷神社の禰宜をする傍ら、ボランティアセンター代表も務めている。
