産経ニュース

【被災地を歩く】女川町「コンテナ村商店街」 旅立ち照らす最後の光

地方 地方

記事詳細

更新

【被災地を歩く】
女川町「コンテナ村商店街」 旅立ち照らす最後の光

 太陽が沈むと、芯から冷えるような寒さと静寂が町を包む。年の瀬が迫った15日、宮城県女川町の一角に住民約40人が暖炉の火を囲んで集まっていた。午後5時、カウントダウンの後で約5万個の青色や白色のLED電球が一斉に光り出すと、歓声とともに、闇の中に仮設商店街の輪郭が浮かび上がった。

 女川港から約1キロ離れた小高い土地に仮設の「コンテナ村商店街」が誕生したのは、東日本大震災から約4カ月後の平成23年7月1日。町商工会青年部が中心となって声をかけ、津波で店を失った店主が幅6メートル、奥行き2メートルの小さな11個のコンテナで店を再開した。飲食店や花屋、電器屋など8店舗が営業を続ける。

 そのコンテナ村に、最後の冬が来た。商店街の敷地は宅地となるため来年借地期限を迎え、各店舗はJR女川駅前や高台などに移転するためだ。24年から始め、冬の恒例イベントとなっていた商店街のイルミネーションも、来年1月15日までの1カ月間で終わる。

 「仙台の光のページェントよりすごいんじゃねえか」。男性商店主の声で、周りに笑いが起きる。店を再建するまでの仮設とはいえ、震災直後から苦楽を共にしてきた商店街の絆は強い。「食事処(どころ)おじか」の野口聖子さんは「今までみんなで一緒にやってきたから、寂しいといえば寂しいよね」とほほ笑む。

 ◆移転で夢いっぱい

 商店街奥の「IZAKAYAようこ」は震災後、町で最初に再開した居酒屋だ。震災後は毎晩住民やボランティア、工事関係者でにぎわった。コンテナでは客が入りきらず、野外にテントを張り客席を増やしたこともある。店主の伊東陽子さん(62)は「移転したらいっぱい夢があるんです。震災前のようにカウンターがあるお店にしたい。キッチンが広くなれば料理の幅も広がる」と声を弾ませた。

 「今年で終わるって聞いてさあ」。商店街には地元ラジオを聞いてイルミネーションを知った住民が続々と集まり、屋台で販売された海産物などをおいしそうに頬張っていた。

 遠藤悦子さん(67)は同町石浜地区の自宅が津波に流され、昨年12月に商店街近くに家を再建。商店街は、新たな地域の輪に溶け込むきっかけとなった場所でもある。「思い出の場所が一つ減るけど、これは一歩前に進むための終わり。ここは家を建てる人、移転して店を再建する人、双方に夢を与える場所になるんです」

 商店主に不安がないわけではない。果物店「相喜フルーツ」には商店街ができた1年目、多くの住民が訪れた。しかし道路が復旧して住民が車を持ち始めた2年目から、客が石巻市の大型店舗などに流れ、売り上げは半減した。店主の相原喜勝さん(67)は「新しい場所で、どれほど客が来るのか心配はある」と漏らす。「でも、やるしかない」

 ◆新しい町への祝い

 夜が更けるうち、販売されていたはずのカキやホタテが無料で振る舞われ始めた。サンマも焼き始め、来場者に大盤振る舞い。「遠慮するなって。これが女川よ」。店主が豪快に笑う。

 この日の朝には、津波で横倒しになった「江島(えのしま)共済会館」の解体が始まった。震災後の町を象徴していた建物が消える一方、来春には町民待望のJR女川駅が再建される。失われた町の日常風景を取り戻すために、人々は土を運び、家を建て、道を作る。

 「今日は新しい女川になるための、旅立ちを祝うお祝いですよ」。町で海産物販売店を営む宮元潔さん(45)がそう言った。イルミネーションがその道筋を照らすように光り輝いた。(安藤歩美)