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栄久庵氏、広島県立美術館で講演 原爆投下の光景「凄惨な無」

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栄久庵氏、広島県立美術館で講演 原爆投下の光景「凄惨な無」

 原爆投下直後の広島で目にした「凄惨な無」の光景が工業デザイナーになるきっかけになった栄久庵(えくあん)憲司氏(85)が、「榮久庵憲司の世界展」(12月23日まで。会期中無休)を開催中の県立美術館で講演した。自らの生い立ちやデザインへの思いとともに、原爆についても触れた栄久庵氏は「原爆を投下した米国は下品だ」と批判し、原爆を否定することの重要性を指摘した。

 栄久庵氏は「わたしと広島」の演題で講演し、「青春時代にこちらで育ち、広島の血が体すべてに流れている」と自己紹介。海軍兵学校から復員し、広島に降り立った衝撃について「(原爆投下の)すさまじさは見るに堪えず、電車も車もすべて焼けて死んでいた」「それまでは家々で見えなかった瀬戸内の水面がきらきら光っていた」と振り返った。

 その何もない光景を「凄惨な無」と表現し、「ペンチでもいい、ハサミでもいいから持てるモノが欲しくなった。人類社会に役立つ『道具の世界』と契約し、(世界を)いい方向にすると自分勝手に決めた」と、一生をもの作りに捧げることを決めた心情を語った。

 講演会で「モノのあり方はケンカ(戦争)の元であり、人生の基であり、国家の基でもある」と話した栄久庵氏は東京芸術大に入学して以降、本格的に工業デザインの道に邁進した。

 しょうゆ卓上びんや大型バイク、東京五輪の招致ロゴマークなど、全国で知らぬ者がいないデザイン。そして、アストラムラインの電車や制服、NTTクレド基町ビル(パセーラ)など、広島市民がよく目にするデザインも手掛けてきた。

 それだけに、ものづくり日本への思いは強く、講演でも、日本の高度経済成長について「戦争中に苦労した人のたまった力が爆発した結果」と指摘。低迷する日本経済の立て直しに必要なこととして「たった一言、私の場合は原爆がでてくる」と話した。

 その言葉は、「一瞬にして家も車も、数万人の命もなくなった」状況を目にしたことが、ものづくりへの目覚め、工業デザイナーに進むきっかけとなった自らの人生を反映している。

 「原爆」を口にした栄久庵氏は「原爆を落とすということは国民の性質が下品になっちゃうんでしょうね」との見方を披露。「(原爆を投下した米国は)横暴とか乱暴とか言われるが、一番きついのは下品。原爆を落とした史実で下品をそのままにしている」と、謝罪なき米国を批判した。

 そのうえで、「原爆を否定することは上品になること」と指摘し、「上品になれば日本の力が高まり、商品もよくなるんじゃないか」「日本人全員が上品になる運動を展開しては」と提案した。

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 栄久庵氏が会長を務めるGKデザイングループの一つ、GKデザイン総研広島の弥中(やなか)敏和社長によると、栄久庵氏が公の場で原爆に対する考えを述べることはほとんどなかった。

 しかし、ここ数年は原爆への思いを内輪の場で口にするようになったといい、「榮久庵憲司の世界展」公式図録に掲載された寄稿文には、その秘めてきた思いを率直に綴っている。

 寄稿文では原爆で2歳下の妹が亡くなり、父親が被爆して1年半で亡くなったことを記したうえで、「原爆は憎んでも憎みきれない存在である」と記述した。

 そのうえで、「東京裁判ではA級戦犯が何人か絞首刑になったが、原爆投下を意義づけたトルーマンや、それに賛意を表した一般アメリカ人も将来の国際裁判にかけられるべきだ。新旧は関係ない」と、米国の原爆投下責任を今からでも国際社会の場で問うよう求めている。

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【プロフィル】栄久庵憲司氏

 昭和4年、東京生まれ。原爆投下後、広島市中区の寺で父の跡を継いで住職となったが、32年に東京でGKインダストリアルデザイン研究所を設立、所長に就任した。世界インダストリアルデザイン会議実行委員長などを歴任し、平成10年には世界デザイン機構を設立して初代会長となった。今年になって、デザイン界のノーベル賞ともいわれるコンパッソ・ドーロ(黄金のコンパス賞)国際功労賞を米アップル社などと並んで受賞した。