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【静岡 人語り】テレビ静岡社長・小林豊さん(63)

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【静岡 人語り】
テレビ静岡社長・小林豊さん(63)

 ■嫌だった“ブッチャー”営業に一役 今は次代のため、制作ノウハウ蓄積

 制作局から営業局に移ったのは平成4年、41歳のときでした。最初はやっぱり戸惑いました。仕事が全然違うので、何をどうすればいいのか分からない。銀座でスポンサーを回りながら、「何でおれはこんな時間にこんなところに立っているんだろう」なんて思ったこともありました。

 でも、このとき、あんなに嫌だったテレフォンディレクター“ブッチャー小林”の経歴が、とても役に立ったんです。企業回りをすると、みんな「おお、ブッチャーさんだ」と喜んでくれる。「『笑っていいとも!』の裏話を聞かせてください」なんてよく頼まれました。そんなことなら、こっちはいくらでも話せるんですよ。調子よくいろいろと話したら、番組のスポンサーにつく話がすぱっと決まったりしてね。

 異動したときは、2年くらいで辞めてやるつもりだったけど、営業として働いているうちに、いろんなことが分かってくるんです。番組を作っている連中が何か間違いを起こすと、営業の若いスタッフがスポンサーのところに駆けつけて、必死に頭を下げている。中にはテレビ局が悪くないときだってあるんですよ。一生懸命に働く彼らの姿を見ていると、何だかかわいく思えてきちゃったんです。自分だけで番組を作っているつもりだったけど、一つの番組には、こんなに多くの人々が関わっていたのか、と気づかされた。辞めるはずが10年近くも続けてしまい、13年には営業局長になったので、もう辞める訳にもいかなくなってしまいました。

 その後、平成19年に取締役営業担当になり、21年6月にテレビ静岡の社長に就任します。40年ぶりの故郷・静岡は、やはりのんびりしていて、人々がおだやかだと感じました。当時は、妻のがんが再発し、9月に亡くなるという時期だったので、いろいろとつらい思いもしましたが、自分の年齢を考えると、いい時期に故郷に帰れたという気がします。

 でも、テレ静にとって今は非常に大変な時期です。ローカル局は放送内容の大半がキー局の番組なので、フジテレビの視聴率がずば抜けてよかったときは楽だった。だけど、もはやそういう時代じゃない。自分の努力で自局を支えなくてはならないんです。

 昨年9月、テレ静にとって37年ぶりとなる情報ワイド番組「てっぺん静岡」(月-金曜、午後2時55分~3時55分)をスタートさせました。制作費や人員の問題から反対意見が多かったのですが、「他局にできることが、なぜうちにできない」と説得しました。

 フジが圧倒的に強かったとき、県内の他局は必死で独自番組の制作能力を向上させてきたんです。今度は、うちが努力する番だ。ローカル局の基本は、地方に根ざした情報、ニュースを取り上げることです。そのことに消極的になったり、ノウハウを知らないとなると、ローカルとしては生命線を自ら絶っているようなものです。

 「てっぺん静岡」はまだまだ順調とはいえませんが、社員たちに「自分たちで何とかするんだ」という意識が芽生えてきました。われわれは今、この番組で情報の見せ方、番組制作のノウハウなどを蓄積している。長期的に見れば、これはチャンスなんです。

 もう一つ、28年度完成を目指す新社屋も私にとって大きな課題です。南海トラフ巨大地震が来ても、放送を途切れさせないこと。これは放送局としての責任です。

 番組制作能力と新社屋というソフトとハードの両面をきちんと整え、次代の人へバトンを渡したいと考えています。=おわり

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 次回は活き生きネットワーク理事長、杉本彰子さんです。

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【プロフィル】小林豊

 こばやし・ゆたか 昭和26年3月2日、清水市(現静岡市清水区)生まれ。専修大学在学中からテレビ局でアルバイトとして勤務。卒業後、番組制作会社「フジポニー」入社。55年、フジテレビの同社吸収に伴い移籍。以後、「笑っていいとも!」「所さんのただものではない!」などバラエティー番組のディレクター、プロデューサーとして活躍。「笑っていいとも!」ではテレフォンディレクター「ブッチャー小林」として登場し、親しまれた。平成4年に営業局に異動。営業局長などを経て19年取締役営業担当。21年からテレビ静岡社長。