東日本大震災7年半 北海道と宮城 ふたつの被災地で奮闘 イチゴ農家の丸子さん親子

 
再建した農場はいつか、息子にまかせたいと語る丸子忠志さん=11日、宮城県亘理町(塔野岡剛撮影)

 東日本大震災から、11日で7年半。震災以降、各地で大規模な災害が相次ぎ、北海道では最大震度7を観測する地震が起きた。震災の津波で宮城県にあったイチゴのビニールハウスが流され、再起をかけた北海道で今回の地震を経験、いつか故郷を目指すという息子と、宮城に残って農場を再建した父親。ふたつの被災地に2人を訪ねた。

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 ◆伊達で再起かけて 北海道に移住・裕人さん

 今月6日未明、震度7に見舞われた北海道厚真(あつま)町。100キロ離れた伊達市でも震度5弱を観測した。

 地震発生時、伊達市苺研究会代表の丸子裕人さん(39)はすでに起床していた。「揺れ自体は衝撃的ではなかった」。津波がないことも確認した。だが、「防災は日頃の心がけ。備蓄していたものがなくなっていたり、意識は薄れてしまっている」と話す。

 ビニールハウスのイチゴに被害はほとんどなかった。停電で一時的に水をやれず、一部の苗がしおれたが、2日後には復活。青果市場への出荷やクール便での道外への配送も、近いうちに再開される見込みだ。

 宮城県亘理町で祖父の代から続くイチゴ農家の3代目だ。平成23年の東日本大震災の津波でハウス25棟が津波で流された。「もう無理なんじゃないか」。廃業もちらついた。

 そんなとき、「ふるさと姉妹都市」の伊達市が、イチゴ農家の移住者を募っていると知った。被災から3カ月後、悩み抜いた末に再起をかけて北の大地を再出発の地と定めた。

 気候や品種が違えば管理方法も違う。手探りの日々から約7年、宮城の独自品種「もういっこ」が伊達でも収穫できるようになった。9人から始まった営農体制は、パートも加わって20人ほどに増えた。さらに今年、亘理以外からでは初めてとなる道内の新規就農者を迎えた。「『イチゴ産地』の第一歩を踏み出せたかな」と目を細める。

 今はただ、市の支援に報いたいと思う。

 「伊達のイチゴっていいよね、と言われるよう、組織として品質を高めたい」

 目標を遂げたら、いつの日か亘理に戻るつもりだ。(千葉元)

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 ◆「30年以上…これしかない」 亘理で再建、父・忠志さん

 北海道を大きな揺れが襲った日。夜が明けてから、丸子忠志さん(66)は北海道伊達市の裕人さんに安否確認の連絡を入れた。無事を確認し、安堵(あんど)した。

 宮城県亘理町でイチゴ農園を営む。

 東日本大震災の津波で、イチゴ栽培のハウスが壊滅。それを再建した。

 「30年以上携わってきたイチゴ作り。イチゴを作ってやっていくしかない。これしかない」

 震災直後の混乱期、決断に時間をかける余裕はなかった。

 「正しい判断かどうかより、そのときどう思ったか。切羽詰まっていた」と忠志さんは振り返る。

 そんなとき、裕人さんが北海道へ行くと言った。

 「残ってほしい」という思いもあった。「北海道でイチゴを作れるのか」との不安もあった。それでも息子の背中を押した。

 「あの状態でこの場所に残っても仕方ないと思った。家族の生活もあった」

 以来、毎年北海道に足を運ぶ。親子で栽培の技術を磨く。「息子が作っているイチゴと、自分が作っているイチゴは栽培方法が違い勉強になる」という。

 裕人さんは「いつの日か亘理に」という。忠志さんは答える。「必ず帰ってこい」。再建した農園は、裕人さんに託す。(塔野岡剛)