(5)バネ製造・販売「松村鋼機」 固定客離さない確かな技術

かながわ元気企業

 通常のバネよりも長さが短く、省スペース化を実現するバネ「スクロウエイブスプリング」を日本で唯一専門に扱う「松村鋼機」(綾瀬市)。創業時は商社だった同社は、米国で軍事用に使われていた止め輪の製造技術を日本でいち早く導入。止め輪の製造過程から、「スクロウエイブスプリング」を発想し、丁寧な仕事と堅実な経営で約40年間、止め輪とバネを作り続けてきた。同社の製品は小田急ロマンスカーなどにも使用されており、現在は一般消費者向けの製品も開発するなど、活躍の幅を広げている。

 創業者の松村剛前社長が商社時代、取引先の企業から買い付けた技術が、米国の軍事技術を活用した当時最先端の止め輪「スパイラルリテイニングリング」だった。「爆発的なヒットはしないまでも、固定客はずっと買ってくれる確かな技術」と昭和54年、藤沢市に工場を構え、商社から製造業に転換した。

 ◆柔軟で小型で頑丈

 剛前社長の慧眼(けいがん)は確かだった。止め輪は機械の製造過程で、部品を固定する際に使用する必要不可欠な部品だ。平型の金属板から切り抜くJIS規格の止め輪に比べて、線状の金属を丸く加工する「スパイラルリテイニングリング」は柔軟性と頑丈さに優れていた。さらに、製造時の廃棄物が少なく再利用も容易と、環境への負荷も低かった。

 同社は止め輪を作る中で、製品の小型化を可能にするバネ「スクロウエイブスプリング」の着想を得て、製造を開始。中小企業ならではの細かな要望への対応を行い、さびにくく頑丈な最先端の金属を製品に使用するなどして、「一度うちの商品を使って、元のJIS規格に戻そうという人はいない」と胸を張るほど顧客のニーズに応えてきた。

 記録に残る限り黒字決算を続けている同社だが、大きな苦境に直面したことがある。平成20年の夏、工場を建て替えようと綾瀬市に土地を買った直後、剛前社長が死去した。工場新設の前祝いの記念登山での事故だった。

 当時は前社長夫妻が全ての株式を所有していたが、剛前社長の妻は病気のため意思疎通ができず、株主総会すら開けないほどの混乱に陥った。追い打ちをかけるようにリーマン・ショックを迎え、新工場設立に向けた融資を約束していた銀行からは、あっさりと袖にされた。

 ◆突然の世代交代

 途方に暮れながら、親戚の松村朗氏(54)は株主総会を開くべく地方裁判所に通った。地裁から任命された弁護士が一時社長になるなどし、約1年後に松村氏が社長に就任。工場の新設は悩んだ末、「キャンセルでも2億~3億円の赤字が出るなら、将来に投資したい」と準備を進めた。会社の株の買い戻しなども含めて、松村社長は会社に現在も返済を続けている数億円の借金をする形で経営に挑んだが、騒動の中、辞める社員は一人もいなかったという。

 社長交代の教訓から、同社は松村社長以外にも2人の取締役を置く取締役会設置会社に移行。社員も株式を所有しているなど、長く会社を経営するための仕組みを固めた。

 工場を訪れると、「外見ではなく中身を評価する」という松村社長の考えを反映し、老若男女が和気藹々(あいあい)と働く。「環境負荷の低減活動を通じて、地球環境保全に貢献する」を基本理念に環境活動にも力を入れており、同社は30年、経営や雇用状況が評価され、県の「かながわ中小企業モデル工場」に認定された。

 ◆一般向け商品も

 最近では企業向けの商品だけでなく、一般消費者向けの商品の製造も始めている。消費者向けの商品は、剛前社長が生前から作りたいと話していたものだが、当時はアイデアが出ずに頓挫。ある時、製品をクリップ代わりに使用している社員を見て、バネを利用したクリップを思いついたという。

 クリップは自動車用品販売会社とコラボレーションして製造しているほか、29年末からは主に外国人をターゲットにマネークリップも販売。同社製のバネが自転車ブランドのメーカーオプションに選択されるなど、商品利用の幅を広げている。

 現在は新しい商品の開発も進行中だといい、松村社長は「これからも当社の製品で社会や環境、地元に貢献していきたい」と話している。(岩崎雅子)

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 ■松村鋼機 

 ▽所在地=綾瀬市吉岡東2の2の24 (電)0467・50・0561

 ▽設立=昭和40年3月

 ▽資本金=7000万円

 ▽従業員数=43人(平成30年7月現在)

 ▽売上高=5億8000万円(平成29年度)

 ▽事業内容=止め輪やコイルバネの設計、製造と販売