倒壊や一時撤去も復活の大郷忠魂碑、「守り次世代へ語り継ぐ」 長浜で法要、関連資料展示も - 産経ニュース

倒壊や一時撤去も復活の大郷忠魂碑、「守り次世代へ語り継ぐ」 長浜で法要、関連資料展示も

 戦前は地震で倒壊、戦後は進駐軍の目を恐れて一時撤去されるなど存続の危機にあいながら、地域住民が復活させた長浜市川道町の「大郷(おおざと)忠魂碑」で11日、慰霊の法要が営まれた。戦没者を祭る忠魂碑の歴史を紹介しようと、関連資料の展示も浅井歴史民俗資料館(同市大依町)で始まっている。管理してきた遺族の高齢化が進むなか、地元関係者は「平成の次の元号の時代にも語り継ぎたい」と話す。
 忠魂碑は明治39年、日清、日露戦争に出征した旧大郷村(現長浜市)出身兵士の霊を祭るため建立された。同42年8月14日の姉川地震で倒壊したものの、地域住民らの篤志金で再建。同資料館で展示の忠魂碑の関連資料には、創建時の事業費などの記録が残る。
 資料は、大郷村役場の兵事係だった西邑仁平さん(故人)が保管していた。西邑さんの長男、紘(ひろし)さん(76)は「父は明治37年生まれで忠魂碑とほぼ同年代。父の生きた歴史を語っているよう」と話す。
 第二次世界大戦終了後、碑は地域の人たちの手で付近に埋められた。理由を記した明確な記録はないが、地元関係者は「戦争を思わせるものとして進駐軍ににらまれるのを恐れ、住民たちが『隠した』との話が伝わっている」と話す。
 生前、西邑さんが語っていたところによると、住民たちは泣きながら碑に土をかけたという。占領終了後、掘り出され、再び建てられた。
 忠魂碑は高さ約4メートル、幅約1・7メートル。一枚岩に「忠魂碑」と刻まれている。英霊約200柱を祭っているという。
 法要には、約50人が参列した。忠魂碑の管理当番の宮川弘久さん(64)は「ビルマで戦死したおじが祭られている大事な石碑。遺族会は高齢のため減る一方だが、地域で祭り続けるのは当然のこと」とし「忠魂碑を知らない子供たちにも教育し、平成の次の元号の時代を迎えても大切に守り続けたい」と話す。
 大郷忠魂碑の資料は、同資料館で開催中の「終戦記念展~明治の村からみた戦争~」で紹介。その他にも、西邑さんが保管した兵事関連資料も展示されている。9月2日まで。月曜休館。問い合わせは同資料館(電)0749・74・0101。