東京の常磐橋が往年の姿に 小豆島で「袖高欄」修理

 

 全解体修理中の、実用されている石橋としては東京都最古の「常磐橋(ときわばし)」(千代田区)のうち、袖高欄(そでこうらん)の修理が香川県・小豆島で進められた。先月31日には文化財保存計画協会(同区)の立ち会いで、仮組み検査や現場での組み立てに向けた打ち合わせなどが行われた。

 常磐橋は明治10(1877)年に日本橋川に架けられた石橋。2つのアーチと大理石製の八角形の親柱や鋳鉄製の手摺柵など伝統的な石造技術を基盤に、西洋的な意匠との折衷様式で、「常盤橋門跡・常磐橋」として国の史跡に指定されている。

 東日本大震災の影響で大きなゆがみや変形が生じたことから落橋を防ぐ災害復旧事業として、平成28年から解体調査や修理が始められた。

 小豆島で修理された袖高欄は橋台(両岸の陸地部分)の上にあり、道路から橋へと誘(いざな)う特徴的な親柱の間をつないでいる。部品は下から台、鏡、笠(かさ)の3点で組み上げ、両岸2対の部品総数は90個。このほかに敷石が約180枚ある。

 修理は震災前の状態に戻すと同時に、長い年月の間に欠損したり、改変されたりした箇所を創建当時に戻す作業も含まれる。橋に使われている石材が池田藩(岡山県)など瀬戸内産であることから補修材に岡山市犬島の石が使われ、修理・加工は小豆島や高松・庵治の石工が携わった。

 小豆島は、江戸初期の大坂城再建で城塞建設用に多くの巨石を産出。また、土庄町豊島出身の中野喜三郎(1859~1938年)が同町の石工とともに茨城県の筑波山中の稲田石を開発し、国会議事堂や日本橋などの石組み建築に携わった歴史がある。

 小豆島の石工、藤田精さん(49)は「文化財の修理は初めて。旧材との合わせ目をなじませて加工するという難しさや、プロ集団との作業はいい経験だった。全体の完成を見たい」。庵治の石工、大川弘展さん(46)は「明治の加工部分は掛け替えがなく失敗できないという緊張感があった。学ぶことが多く、お金にかえられない経験は光栄と誇りです」と話していた。

 完成した部品は現地での橋脚などの工事の進行状況に合わせて出荷され、組み立てられるという。