独特の祈り、迫る消滅危機 潜伏キリシタンの長崎・生月島、過疎化進み継承者5%割る

 
自宅の座敷で祭壇に向かい「オラショ」を唱える川崎雅市さん。祭壇の右には神棚が、左には仏壇が並ぶ

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。明治時代初頭まで約250年間の禁教期に育まれた独特の祈りを伝える人々が、長崎県平戸市・生月島を中心に残る。ただ、島では過疎化が進む上に、祈りを継承する人の割合は島民全体の5%を割り込んだ。苦難に耐えた祈りに、消滅の危機が迫る。

 「われらがでうすさんたくろーすの御しるしをもって、われらが敵をのがしたまいや」。5月下旬の夕暮れ。生月島の壱部地区で漁業の傍ら農業を営む川崎雅市さん(68)は、自宅の座敷で約7分間、潜伏信徒から代々受け継いだ祈り「オラショ」をつぶやいた。

 「でうす」は神。「さんたくろーす」は聖なる十字架。禁教期の作法を守り続ける「かくれキリシタン」の川崎さんは、内容を深く理解することなく口伝えで習った。

 暗唱中に見据えた壁には、仏壇や神棚と並んで祭壇が設けてある。和服姿で黒髪の女性が赤子を抱く様子を描いた掛け軸は、聖母マリアとキリストを表したものだ。

 近所の神社の氏子で寺の檀家でもある川崎さんは、迷いなく言い切る。「神道の神様や仏様より大切なのは、マリア様」

 ▽後継のあてなく

 「かくれ」の信徒は今、生月島の他に、長崎市の外海地区や五島列島の一部などにしか、残っていない。

 「平戸市生月町博物館・島の館」の学芸員で生月島の宗教史に詳しい中園成生さん(55)によると、解禁を迎えた信徒の多くは、カトリックに合流した。だが生月島では、先祖を祭る仏壇を放棄することへの強い抵抗などもあり、大半が従来の信仰形態を維持したという。

 1950年代の調査では、1万1千人超の島民のうち「かくれ」の信徒は約8割を占めた。だが平成29年になると、人口約6千人に対し300人を切ったとされる。

 かつて栄えた漁業は、約30年前から衰退。職を求めて多くの青年は島を出た。家庭を守り信仰行事を陰で支えてきた女性も、社会に進出し時間の余裕がなくなった。

 川崎さんは15年ほど前から、行事を取り仕切る「親父役」となった。就任した頃、キリストの復活を記念する「上がり様」やクリスマスに当たる「御誕生」といった儀式に参加する信徒は、数人いた。でも、10年以上前から自分だけとなった。島で別々に暮らす28歳の長男は洗礼を受けておらず、後継のあてはない。

 「先祖様が守ってきたものを、私の代でつぶすわけにはいかない。でも、先のことはどうにもならん」

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【用語解説】かくれキリシタン

 江戸幕府から続いた禁教令が明治6(1873)年に解けた後も、弾圧下で行われていた信仰形態を守り続ける人々を指す。「かくれ」を「隠れ」「カクレ」と表記する学説もある。禁教期の信徒を「潜伏キリシタン」として区別することが多い。ただ、明治期に入り信教の自由が認められる前後で信仰の在り方は変化していないとして、双方を「かくれキリシタン」と総称する考え方もある。