脳梗塞に詰まった納豆について

言葉の贅肉 伊奈かっぺい綴り方教室

 脳梗塞は脳梗塞と表記してほしい。何かの都合で“脳こうそく”とか“脳こう塞”などと表記されると、なんだか普通の脳梗塞より軽い症状なのではないかと思ってしまうじゃないか、と思ってしまう。

 いきなりの閑話休題ぽくて恐縮だが、こうも毎日見かける“忖度”も、そろそろ平仮名に直したり、わざわざルビをふらなくてもみんなが読めるようになったのではないかと思っているのだが、どんなものだろ。何かの都合はそれをも許さないのであろうか。

 話は忖度でなくて脳梗塞であった。私がその脳梗塞で入院を強いられたのは平成15年の11月だったから、そろそろ15年にはなるか。早いものだと改めて。軽い目まいと足元のふらつきで近所の医者に連れて行かれ、軽い検査のようなあとで「ソク入院」と言われ「足だけの入院ですが」と問い返したことは今でも覚えている。少しの間があって医者は「…全身です」と言った。

 なんやかやありまして約2週間で退院となった。そのとき2種類の経口薬を渡された。1日3度、食事のあとに。1カ月ほどで薬がなくなりまた病院へ。そのときに先生にお伺いをしてみた-

 「この薬は何故2種類で、何に効く薬なのですか」「ひとつは血をサラサラにする薬。もうひとつは、この薬を飲むことによって胃に負担をかけるから、胃薬です」

 「…Aの薬を飲むからBの薬も飲まなくてはならない。ならば、Aを飲まなければBを飲む必要はない、のですよね」「…そういうことだ」

 「Aを飲まなければBを飲まなくてもよいのであればAを止めましょ。するとBも飲まなくてよい。なんも飲まなくてよい。めでたしめでたし」で一件落着。あれから15年。

 それでもいささかは血のサラサラを気にして、普段の食事で気をつけようとこれまたお伺いを。あのとき聞いたのが納豆。スライスオニオン。鮪の赤身。どれも嫌いじゃない。前からも食べていた。食べていたのに脳梗塞になったのは何故だろうとは考えないようにしよう、と少しは考えた…。男は黙って納豆、玉葱、鮪の赤身だ。

 そして、いつにも増して熱い御飯に納豆のっけて食べ続けている身に今更急に、どこの誰が言い出しやがったのだ。熱い御飯に納豆は身体によくないのだとか。熱い御飯は納豆の栄養を消すとか壊すとか。熱い御飯は血のサラサラにも悪影響を与えているのだろか。15年やらせておいて何を今更、突然に。

 科学と検査と研究の進歩によって…またそこに逃げやがるのか。15年間食べ続けた納豆代は誰に請求すればよいのか、だ。

 知らないうちに脳梗塞に戻って近づいていたのであろうか。玉葱の薄切りに新たな研究の進歩は影響していないだろうか。あまりに薄くスライスすると(丁寧な薄切りだ)血をドロドロにするとか。醤油をかけると老化が進むとか、オニオンの芽にも涙だとか、生玉子と一緒に食すると親の死に目にあえないとか-。玉葱の新たな研究成果も隠さずにさっさと発表してほしい。

 実は、鮪の赤身は生の大根と一緒に食すると醤油とワサビに反応して頭痛と腰痛の原因になるとか。研究と検査が進歩することに異議はない。さっさと教えてほしい。素人はいつだって専門家の意見を信じてきたのだ。忘れかけていた脳梗塞が納豆に塞がれた思いがした。

  =次回は24日に掲載します。