宮崎交通「どんな難題にも解決策はある」

突破力

 ■ヤマト・日本郵便と連携、全国モデルに

 バス中央の荷台スペースに「ヒト・ものハコぶ」の文字。山間部を走る路線バスに、客と宅配便の荷物が一緒に乗り込む。不採算路線でわずかでも収入を増やす小さな挑戦であり、それでいて、地方交通機関のモデルをつくる、大きな夢につながる。

 「客貨混載」は平成27年10月、宅配大手のヤマト運輸と連携して始まった。ヤマト運輸は配送を効率化でき、宮崎交通はヤマトから輸送料が得られる。

 背景には、バス事業者が直面する過疎の厳しい現状があった。

 24年に社長となった菊池克頼氏(67)は頭を抱えていた。宮崎交通のバス路線のうち、7割が赤字だった。バス事業の年間乗客数は900万人で、昭和40年代の1割しかない。

 「これからも人口減少は進む。何か収入を得る方策を、探さないといけない」。必死だった。その思いが転機を引き寄せる。

 菊池氏は27年6月、経済界関係者の会合に出席した。その場にヤマトの社員がいた。同社は岩手県で、バスで荷物を輸送する取り組みを始めていた。ヤマトの社員は、同様の取り組みを提案した。

 「異業種と組むことで、違った解決策が見つかるかもしれない」。菊池氏は決断した。

 宮崎交通は大正15(1926)年に創業し、92年の歴史を持つ。地元では「宮交」の略称で親しまれる。

 宮交は、車体改造の技術を社内に持っている。外注が中心となった日本のバス会社では珍しい。

 整備担当者は、座席の一部を取り外し、柵で囲った荷台スペースを取り付けた。混載が始まったのは、事業決定からわずか3カ月後のことだった。

 「クール便も扱ってはどうか」。宮交社員の発案で、バスに保冷設備も設けた。今年2月には日本郵便も参加し、3社の協力事業となった。どちらも全国初のことだった。

 宮崎が抱える課題は、全国の課題でもある。宮交の取り組みは注目され、同様の連携が各地に広がった。

 実績は国も動かす。国土交通省は昨年9月、混載が進むように路線バスの荷物の重量制限を撤廃した。

 「混載事業によって、社員の意識が大きく変わった。次を考えて、動く社員が増えた。この効果は大きい」

 こう語る菊池氏は、社員に呼びかける。「会社をつぶすのは役員や社長。従業員の発想が会社をつぶすことはないんだから、いろんなアイデアを出してきなさい」

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 宮交は創業者がアイデアマンだった。

 岩切章太郎氏(1893~1985)だ。日南海岸沿いにフェニックスを植栽し、南国風景を確立した。それが昭和40年代の「宮崎新婚旅行ブーム」につながった。えびの高原の開発も手掛けた。岩切氏は「宮崎の観光の父」と呼ばれる。

 「ただ一つ、何でもいいから、自分の理想を実現するようなことをしてみたい。地方の小さい仕事でいいから、日本の模範になるものをつくってみたい」。そんな言葉を残した。

 宮交はその後もホテル、レストランなど、事業の幅を広げた。

 バブル崩壊後、こうした投資が、負担として大きくのしかかる。経営危機に陥り平成17年、産業再生機構による支援が決定した。翌年、本社敷地も売却した。

 地元銀行などスポンサーが集まり、会社は持ちこたえた。

 憂き目は見たが、宮交社員は地域の交通を支える気概を持つ。「日本の模範をつくる」。岩切イズムも受け継がれる。

 「明日に向けて、あらゆる可能性に挑戦する」。新たに掲げた経営理念のもと、成長をつかむ努力を続けている。

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 宮交は今、既存事業からの脱皮を図る。ヤマトとの連携も、新たな針路の一つだ。間もなく、バス乗客が、停留所から自転車に乗り継げるような事業も始める。

 自社努力に加え、菊池氏は行政にも訴える。

 「交通網の維持は宮交がやるという意識を捨ててほしい。なぜ減便をしないといけないのか、一緒に考えてほしい。行政が関わっていかないと、減便は繰り返される」

 ただ、宮崎という地域には希望を抱く。

 日本国内は人口減が続くが、世界をみれば、人口は爆発的に増加している。将来、深刻な食糧危機になるとの予測もある。

 菊池氏は「宮崎県の農業産出額は全国5位で、全国有数の農業県だ。食糧の観点でみれば、宮崎は生き残っていけるポテンシャルを持つ。好機に転じるまでに、何をするかが大事だ」と語った。

 地方も、そこで生きる企業も大小の課題を抱える。

 「『心配するな、工夫せよ』。岩切氏はこう言っている。どんな難題にも、解決策は必ずある。会社と地域を発展させるため、宮交のプライド、使命感、誇りをもう一度蘇らせる」。菊池氏はこう強調した。 (高瀬真由子)