キリシタン弾圧から150年 島根・津和野で信教の自由と平和祈るミサ - 産経ニュース

キリシタン弾圧から150年 島根・津和野で信教の自由と平和祈るミサ

 江戸時代末期から明治初期にかけて長崎で続いたキリスト教徒への弾圧「浦上四番崩れ」で、信徒が日本各地に流されて今年で150年。流刑地の一つ、島根県津和野町で憲法記念日の5月3日、信教の自由と平和を祈るミサが開かれる。主催する津和野カトリック教会の山根敏身神父(73)は「今年は明治維新150年の記念行事が各地であるが、その陰で迫害があったことを忘れないでほしい」と話している。
 江戸幕府の禁教令の下、長崎・浦上のキリスト教徒は潜伏しながら信仰を伝承。1865年、長崎を訪れたフランス人神父にひそかに信仰を告白し、「東洋の奇跡」として世界に知られた。その後、信徒が仏教式の葬儀を拒否したことで長崎の役人にも知られ、「崩れ」と呼ばれる検挙が始まる。浦上で1790年にあった「一番崩れ」から4回目の弾圧事件だった。
 ノートルダム清心女子大(岡山市)で特別招聘教授を務める前学長、高木孝子さん(69)の曽祖父、仙右衛門はその頃、浦上の信徒の中心人物で、自宅を秘密教会にしてミサを執り行っていた。四番崩れで1867年、約80人とともに捕らえられたが改宗せず、明治維新の68年、神道研究が盛んな津和野に流された。
 仙右衛門らは津和野の「乙女峠」で、立ったり足を伸ばしたりできないほど狭い牢屋に入れられる。氷の張った池に投げ込まれるなどの拷問を受け、棄教を迫られ続けた。外国から強い抗議があり、明治政府は明治6(1873)年、事実上、禁教を解く。帰郷した仙右衛門らは浦上天主堂を建立した。
 農民だった仙右衛門は「貧しくて病気がちの普通の人だった」と高木さん。しかし、仙右衛門のような信徒らが権力に屈せず拷問に耐え続けたからこそ外国政府が動き、信教の自由を獲得できたのだと高木さんは語る。
 高木さんは24歳の時、修道院に入り、シスターになった。今は学生に「許せなくても許そうとする、理解できなくても理解しようとする。そんな生き方をしてほしい」と他者を尊重することの大切さを教えている。
 津和野カトリック教会の山根神父は「信教の自由のために闘った彼らの苦しみは教科書でも習わない。もっと多くの人に知ってほしい」と訴える。教会から約700メートルの乙女峠には昭和26年、ドイツから来た神父が殉教者たちに祈りをささげようと「乙女峠記念聖堂」を建てた。
 翌27年に乙女峠で追悼ミサが始まり、29年からは信教の自由の大切さを忘れないようにと憲法記念日に開かれるようになった。ミサには毎年約1500人が参加し、乙女峠には年間約10万人の巡礼者が訪れる。山根神父は「かつて信徒たちが発した問題提起を世界に伝えたい」と話している。