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【新選組外伝~木村幸比古筆(4)】暗殺された筆頭局長・芹沢鴨、会津の粛清か

芹沢鴨の名が記された新選組英名録(霊山歴史館提供)
芹沢鴨の名が記された新選組英名録(霊山歴史館提供)
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 芹沢鴨。新選組の前身の壬生浪士組時代から名実ともに、筆頭局長であり近藤勇の上席にあった。隊士らもその実力は認めつつも、困ったことに酒乱で気にくわぬと「尽忠報国之士芹沢鴨」と刻んだ三百匁(もんめ)鉄扇で暴力をふるう。幕末の乱世で歴史に名を刻んだ芹沢だが、その出生は謎に満ちている。

 芹沢の幼名は竜寿のち光幹、本名を下村継次と称した。常陸国(茨城県)の生まれは諸説ある。水戸藩士芹沢家分家で行方市芹沢村の出生説や、芹沢家からの養子説などと語られていた。

 近年、芹沢の出生を紐解(ひもと)く古文書が見つかり、博物館の特別展で公開されて話題となった。

 新たな事実が記されていたのは、水戸藩校・弘道館助教の漢学者による「石河明善日記」だ。その中には《手綱領松井村神官次郎八の倅 次郎八百姓より神官御取立の者也》とあり、下村家の位牌(いはい)にも下村祐の子として継次の名があった。芹沢の父、祐は次郎八と称した。北茨城市中郷町松井村豪農で郷医だったが、祐斎と名乗って松井村鎮守の丞殿神社の神官となり、継次は父の後を継ぎ神官に。下村家代々の墓誌にも「神官下村継次」と刻まれている。

 水戸では神道が盛んになった。藩主・徳川斉昭が「佐幕も勤王もみな天皇の領民」として、藩内の3分の2の寺院を破棄し神道に統一。斉昭自ら神道に改宗したため、藩士も従った。維新後の廃仏毀釈(きしゃく)は水戸ですでに起こっていた。

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