涙の鍵渡し、豪雨被害から3年を前に「孤独」からの再建

「友達とお茶を飲むのが楽しみ」「1人じゃなくなるのがうれしい」。平成30年7月の西日本豪雨で大きな被害の出た岡山県倉敷市真備(まび)町地区で災害公営住宅が完成した。被災者には深刻な浸水被害だけでなく「孤独」も重くのしかかる。それだけに入居者らは、住み慣れた場所で再び暮らせることを涙ながらに喜んだ。
ボートで救助され
「とてもうれしいです。近所の人たちと世間話をするのが楽しみ」。3月25日、倉敷市真備支所で、災害公営住宅の鍵の引き渡しが行われ、伊東香織市長から手渡しを受けた吉永紀子さん(74)はこう話して涙ぐんだ。
吉永さんは30年7月7日、真備町川辺の自宅で被災した。朝方に玄関から水が迫り、正午には2階の畳が持ち上がるほどに。「あたりは泥の海で本当に怖かった」。救助ボートで助け出されたが家は全壊した。
被災後、避難所で暮らす中、全壊した自宅を片付けている最中に熱中症で倒れて入院。同年9月には出身地の鹿児島県に住んでいた母親が亡くなった。いろいろなことが重なり、「つらかった。2年間は笑うこともできませんでした」。
その後はアパートを活用した「みなし仮設」で生活することに。3階建ての2階が自室で、階段の上り下りがしんどかったが「真備に帰ってくるまでは、頑張ろうと思っていました」。吉永さんは「もう40年以上住んでいる住み慣れた真備がいいんです。戻ってきたらお茶を飲もうねと言ってくれる友達がいて、楽しみ」と笑顔を見せた。
地元への思いは、ほかの被災者にも共通する。
真備町に50年以上住んでいたという別の女性(58)は今年3月まで総社市内で避難生活を送っていた。鍵を受け取り、「長かった。今は1人なので話す人もおらず、これからのことを1人で考えることばかりだった。今はうれしくて、うれしくて…」と涙ぐんだ。
「大雨以降、この2年間でちゃんと寝られた日が10日あったかどうか」。真備町辻田に住んでいて被災した農業の男性(65)だ。倉敷市内のみなし仮設で生活していたが、災害公営住宅の抽選に当たり鍵を受け取った。「こっち(真備)の方が、生まれ育ったところで連れが多い。『楽しみ』ということではなく、普通の暮らしをします」と話していた。
生活を取り戻す