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発掘まだ4割、謎多き古代の首都中枢「平城宮跡」

 奈良大の渡辺晃宏教授(古代史)は「少なくとも80%は掘らないと全貌は分からない。ようやく道半ばという数字」と分析するが、発掘の進捗とともに期待されるのが、木簡による解明だ。

 これまで平城宮跡では役人の勤務状況や食べ物などについて知る木簡が多く出土。東方官衙地区の調査でも排水路跡で千数百点を超える木簡が見つかり、解読が進められている。

 関係者は「初めて見るようなものも含まれ、新発見につながるかもしれない」と期待を込める。

保存運動尽くした人物

 国営歴史公園として整備が進み、休日は家族連れが訪れる光景が日常となっている平城宮跡。

 復元された正門、朱雀門近くにある「平城宮いざない館」のそばには、宮跡の方向を指さす一人の男の像がたっている。宮跡の保存に尽くした地元の植木職人、棚田嘉十郎(1860~1921年)だ。

 棚田は放置されたままの宮跡を見て心を痛め、私財を投じて保存運動を展開、「奈良大極殿址保存会」が設立されると寄付金を募って宮跡の土地を買収するなどした。こうした壮絶な努力によって大正11(1922)年、一部が国史跡に指定されたが、棚田はその前年にこの世を去っていた。保存をめぐるトラブルなどがあり自殺したという。

 今年は棚田の没後100年にもあたる。奈文研の箱崎部長は「棚田らの努力があったからこそ、平城宮跡は史跡指定され残ったといえる」と話している。

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