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【震災10年】生き抜いて強く逞しく 砲丸投げ・佐藤征平、亡き父に誓う「日本一」 

岩手県陸前高田市出身の陸上・砲丸投げ選手の佐藤征平さん=東京都町田市(鈴木健児撮影)
岩手県陸前高田市出身の陸上・砲丸投げ選手の佐藤征平さん=東京都町田市(鈴木健児撮影)
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 より強く、より高く、より遠くへ-。岩手県陸前高田市出身の佐藤征(まさ)平(ひら)(新潟アルビレックス)は東日本大震災後、陸上・砲丸投げで日本記録を狙えるまでに力をつけた。28歳。「震災があったから今の強さがある。目標を達成するまでは後に引けない」と力を込める。

 あの日を思い出すのは、いつも試合会場だ。家族連れで埋まるスタンドに、亡き父・正彦さん=当時(55)=の姿が重なる。己の力を最大限に高めるとき、最も近くに父を感じる。「頑張れ」。背中を押してくれたあの声が、胸の中でよみがえる。

 中学2年のとき、体育教諭に「体格がいい」と砲丸投げを勧められた。競技歴1年で全国大会に出場し、高校3年の全国高校総合体育大会(インターハイ)で6位に入った。震災に見舞われたのは、投(とう)擲(てき)の強豪・国士舘大への進学を目前に控えた時期だった。

 高台にある実家は、津波の被害から免れた。余震と停電が続く中、1つの部屋で母と妹と肩を寄せ合い眠った。市役所職員だった父は帰ってこなかった。正義感の強い人だった。住民の避難誘導中に津波にのまれたようだと聞き、父らしいなと悔し涙をぬぐった。

 故郷が甚大な被害を受け、最愛の父を亡くし、「生きるだけで精いっぱいだった」と振り返る。砲丸投げは、深い悲しみの底で見つけたかすかな光だった。「自分らしさを表現できるもの。父や亡くなった人たちが一番応援してくれたものだから」

 春になり、かばん一つで故郷を出た。迎えてくれた陸上部では、国士舘大の岡田雅次監督と先輩たちが練習着と生活用品をそろえてくれた。だから厳しい練習にも「感謝の気持ち」を忘れたことはない。

 昨年は新型コロナウイルスの影響を受けた。多くの試合が中止となり、自身もモチベーションの維持に苦しんだ。それでも「あのときに比べたら、ぶっちゃけ楽勝。飯があり、電気もつながり、トレーニングはできたんだから」と笑う。

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