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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】平等という名の全体主義 

東京五輪・パラリンピック組織委の評議員会と理事会の合同懇談会に厳しい表情で臨む森喜朗会長(当時)=12日、東京都中央区
東京五輪・パラリンピック組織委の評議員会と理事会の合同懇談会に厳しい表情で臨む森喜朗会長(当時)=12日、東京都中央区

横断の仕方に性差はあるか

 63歳の男はある大通りに面したマンションに暮らしている。マンションの前には信号機のついた横断歩道がある。最寄りの駅に行くには、これを渡り右に15メートルほど進んで左折しなければならない。つまりクランク状に歩くことになる。ここに暮らして20年以上になるが、4階のベランダから歩行者を眺めていて気が付いたことがある。信号が青に変わると横断歩道を無視して右斜めに進む人がけっこういる。駅に行くには右斜めに進んだ方が早いからだ。その割合は圧倒的に女性が多い。きちんとデータを取っているわけではないが、20年以上の観察に基づくものだ。

 この差はなんだろう。初老の男はめぐりの悪くなった頭をきしませ、ある仮説にたどり着く。男性は女性よりも社会のルールにより強く縛られているからに違いない、と。次いで、江戸時代中期以降、泰平の時代に女子教訓書である「女大学」が広く普及したことに思いは及ぶ。男性(徳川幕府)は自分たちに都合のよい社会秩序を維持するために、放っておいたら右斜めに進んでしまう女性を、何としてでも制御したかったのだろう。そうに違いない…。

 こんなことを56歳の妻(会社員)に話すと、「あなたの目は偏見で曇っている。<女はこんな存在>という思い込みで世の中を見ているのよ。男女や年齢に関係なく、右斜めに行きたい人は行く、それだけのこと。属性の問題ではなく個の問題よ」と一刀両断にされてしまった。

 一度曲がったクギは真っすぐにはならない-男はしみじみと思う。人間は環境のなかで自分を形成してゆく。そうして骨の髄まで染みこんだ価値観を、現代の常識に合わせて変えるのはなかなか困難だ。還暦を過ぎた人間にはなおさらだ。もちろん現代の常識に沿うように自分の価値観を修正できる器用な人もいるが、公職にもなく権力も持たない私などは、腹の中はどうなんだ、疲れないのかしらん、とゲスの勘繰りをしてしまう。なんだか世界全体が無理しているようだ。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)の「舌禍事件」の推移を眺めながら、古い価値観を更新できず、現代の常識に合わせた芝居もできない人間は、表舞台から身を引くしかないのか、という思いにとらわれ、暗澹たる気分になった。

 古い価値観のなかには、理性の暴走を抑える良識が潜んでいることが多い。それを「老害」と切って捨ててしまう社会はこの先、きっと大きな落とし穴にはまってしまうだろう。現代の常識にそぐわなくとも、排除せずに参考意見にするぐらいの寛容さがほしい。こんなことわざを思い出す。「老人一人が亡くなるのは、図書館一つが消えるのに等しい」

最強の武器は「平等」

 それにしても本当に嫌な感じだ。森さんが「女性蔑視」と指摘された軽口を謝罪し、いったんはそれでよしとしていた国際オリンピック委員会(IOC)が突然手のひらを返し、森さんの会長辞任が妥当だとした。スポーツジャーナリストの二宮清純さんは、IOCに多大な放映権料を支払う米国のテレビ局NBCが公式サイトに「東京五輪のトップである森会長は大坂なおみから性差別に関して非難を受けた。彼は去らねばならない」と題したオピニオン記事をアップしたことが決定的だったと指摘する。

 結局はカネなのだ。以前から指摘されていることだが、カネの力で右往左往するIOCという組織の実態がより明らかになった。IOCがどんな美しい理念を語ろうとも、私の心にはけっして響くことはないだろう。五輪は、最高レベルのスポーツイベントとして、かつ国威発揚の場として楽しめればそれでよい。

 もうひとつ、日本を代表するグローバル企業が「沈黙は森さんの発言を是認することになる」として、森発言を批判するコメントを発表した。海外市場を守るためとはいえ、判で押したようなコメントを発表せざるをえないトップが本当に気の毒になった。余計なお世話か。

 それよりも何よりも気がかりなのは、この世界が「平等」を神にいただく全体主義に傾きつつあるように感じられることだ。民主主義の定着した先進国において「差別を許さない」と叫べば、大半の敵を撃破することができる。「平等」こそが最強の武器なのだ。

 森さんの発言に抗議する意思を示そうと、白いスーツを着用して国会審議に臨んだ女性議員たちを見て、戦時中「ぜいたくは敵だ」と叫んで街頭活動をした国防婦人会の割烹(かっぽう)着姿の女性たちを連想してしまった。不寛容な全体主義の足音が聞こえてこないだろうか。誤解を恐れずに言えば、「平等」を過度に追求すれば、その先にあるのは共産主義だろう。

 ここでひさしぶりにモンテーニュに登場してもらおう。第2巻第12章「レーモン・スボン弁護」にこんな言葉がある。

 《人が新しい論拠をもってわたしを追いつめるとき、わたしの方ではこう考える。「わたしは今それに返答ができないけれども、やがて誰かがそれに答えてくれるであろう」と。まったく、我々が言い破ることのできないすべての真らしいことを信ずるのは、あまりにおめでたすぎる》

 現代の常識では、「急進的平等主義」とカネこそが「真」なのかもしれない。だが、この世界に絶対などない。時間がたてばそれが「誤り」になる可能性はいくらでもある。だからこそ、社会改革は、伝統を踏まえながら、すなわち古い価値観を持った人間の意見を「老害」と排除することなく、しっかりと受け止めながら、ゆっくりと進めてゆく以外に道はないはずだ。森さん叩(たた)きに興じる人々は、あまりにもおめでたすぎる。そして危険だ。

 63歳の男は再びベランダに出て、人々の道路の渡り方をしっかりと観察した。右斜めに渡るのは、やはり圧倒的に女性が多い。どうだ、妻よ!

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。(文化部 桑原聡)

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