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芥川賞“次点”が描くコロナ禍の「新しい日常」 乗代雄介さん『旅する練習』

作家・乗代雄介さん(磨井慎吾撮影)
作家・乗代雄介さん(磨井慎吾撮影)

 1月に選考会が開かれた芥川賞で、受賞作に次ぐ高い評価を得た乗代(のりしろ)雄介さん(34)の『旅する練習』(講談社)。新型コロナウイルス禍での旅を描いたロードノベルで、講評では選考委員の島田雅彦さんから「コロナ禍が強烈に意識されており、深読みすれば『新しい日常』に慣れる練習が重ね合わされている」と評された。その完成度は多くの委員から認められたものの、決選投票で惜しくも受賞を逸した。乗代さんに作品の狙いなどを聞いた。

風景を描く意味

 作品の舞台は、コロナ禍が深刻化し始めた昨年3月の南関東。一斉休校で暇をもてあましている中学入学を控えたサッカー少女の亜美(あび)と、その叔父で小説家の語り手が、居住地の千葉県我孫子市からあこがれの鹿島アントラーズの本拠地がある茨城県鹿嶋市まで、利根川沿いに数日かけて歩く旅を思いつく。亜美にとってはリフティングの、叔父にとっては風景描写の練習をしながらの「歩く、書く、蹴る」練習の旅だ。

 底抜けに元気でおしゃべり、サッカー選手になる夢に向かって一心に励む亜美のキャラクターは、コロナ禍という暗い背景を明るく照らし出す物語内の光源となっている。そして道中の名所旧跡、あるいは何気ない路傍の風景や生き物の様子に足を止めては、手にしたノートに文章を書きつける語り手の叔父の姿は、どこか乗代さん本人を思わせる。数年前から毎日のように近場を歩いて風景を写生する練習も重ねており、コロナ禍の中でもその日課は変わらないという。今回の作品も、そうした日常の中から生まれた。

 「風景描写を書きためる中で旧跡などもたくさん目にし、過去の人々の営みも見えてきた。それがだんだん忘れられ、整備が行き届かなくなっているのを実感するうちに、書かなければという使命感を抱くようになった」

感情の高ぶり

 作品の主要テーマといえるのが、場所にまつわる記憶を書き残すことへの強い思いだ。作品に描かれる利根川沿いの道も、実際に昨春から5回歩いた。世の多くの小説が人間を重視して古風な風景描写が減りつつある中で、あえて具体的な場所を緻密に描くことを通じて、そこに生きた人々の姿を伝えようと試みている。

 その中で、柳田国男や田山花袋、小島信夫など、利根川周辺に縁のある作家らがこの土地について書いた文章や、江戸時代にさかのぼる過去の人々の営為が想起され、現在のわれわれが生きる鮮明な毎日もいずれ過去になり、次第に思い出すのも困難になっていくことが示される。最初は冷静だった語り手の筆致も、後半になるにつれ徐々に感情のたかぶりが抑えられないようになり、不穏な予感が深まる中で小説は結末を迎える。

 「先ほどの使命感というのは、たとえば自分がいま300年前に書かれたものを読み返しているのと同じことが300年後に起こるためには、この場所を書き込んでおかないと、(後世に)資するものがない、という気持ちですね」

終わりのない「練習」

 作品のもう一つの主軸となるのがサッカーで、特に往年の鹿島アントラーズのスター選手であり、練習熱心でも知られたジーコさんの存在が重要な役割を果たす。乗代さん自身も中学まではサッカー部に所属しており、今もサッカー好き。「ただ、応援しているのはサガン鳥栖です(笑)」。利根川沿いを歩いた際には、作中人物と同じようにノートを片手に風景描写の練習をしながら、サッカーボールも持参して各所でリフティングに励んだ経験が作品にも反映されている。「旅が練習という行為自体になっていくような感覚を目指していましたし、この小説でもそうしたいと思った」

 サッカーにしろ文章にしろ、ある程度上達すると、練習を続けること自体が目的となっていくという。練習という行為には終わりがなく、それは人生にもつながっていく。練習に対する、求道者のようなストイックな追求ぶりが印象的だ。

(文化部 磨井慎吾)

     

 のりしろ・ゆうすけ 昭和61年、北海道生まれ。法政大社会学部メディア社会学科卒。平成27年、「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。30年、「本物の読書家」で第40回野間文芸新人賞。芥川賞候補2回。

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