座席が上昇する京阪電鉄の名車5000系が6月引退

昭和45年に開催された大阪万博前後の高度経済成長期を背景に誕生し、関西で人気を博した京阪電気鉄道の車両が姿を消そうとしている。朝夕のラッシュ時の乗降をスムーズにするため、扉の前の座席が天井まで上昇する「5000系」だ。令和7年開催の大阪・関西万博を前にした引退は、関西の鉄道業界を取り巻く半世紀の環境の変化を象徴している。(黒川信雄)
省エネを先取り
「5000系は京阪のダイヤの中心を担う存在。運転前日からイメージトレーニングを行い、高い緊張感を持って業務に携わった」
昨年12月に京阪中之島駅(大阪市北区)で開催された5000系の50周年記念イベント。昭和62年から15年間にわたり5000系を運転し、現在は同社の広報担当を務める中西一浩(かずひさ)さん(59)は感慨深そうに当時を振り返った。5000系は今年1月で座席の昇降の運用をやめ、6月には車両の運行自体も終了する。
5000系が運行を開始したのは、万博が大阪で開催された昭和45年の12月。京阪では当時、経済の高度成長に加え、沿線の宅地開発が進んだことでラッシュ時の乗車率が200%を超えるなど、混雑緩和が大きな課題となっていた。
しかし、電車線電圧が600ボルトだったため7両編成が限界だったほか、ホームの延長工事なども長い期間がかかることから、早期の解決は困難とされていた。
そのため京阪は、混雑回避のカギの一つである乗降時間の短縮に目を付けた。そうして着手したのが、1両あたりの片側の扉が通常の3個ではなく、5個を備える5000系の開発だった。さらに乗客の利便性を高めるため、一部の扉の前に座席を配置し、ラッシュの前後で座席が上下する「座席昇降装置」を日本で初めて導入した。