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本塁打王で人気歌手・俳優、謎の東洋人「サリー中村」とは何者か 本紙記事が縁で評伝刊行

寺島優著「占領下のエンタテイナー」(草思社)
寺島優著「占領下のエンタテイナー」(草思社)
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 「サリー中村」の愛称で激動の時代を駆け抜けた日系カナダ人2世の歌手・俳優、中村哲(さとし)の生涯を振り返る評伝「占領下のエンタテイナー」(草思社)が刊行された。若かりし頃はカナダの野球チーム「バンクーバー朝日軍」の本塁打王、戦後は進駐軍キャンプの人気歌手。「怪しげな東洋人」役で多くの国際映画にも出演し、三船敏郎やアラン・ドロンとも共演した。評伝を手掛けたのは、中村の長男であるマンガ原作者、寺島優さん(71)。執筆のきっかけは、約30年前の産経新聞の取材だったという。(文化部 本間英士)

多芸多才の人

 ご年配の読者の中には、名前は知らずとも顔に見覚えがある…という方もおられるだろう。まず、多芸多才の人であった中村の経歴をざっと振り返りたい。

 明治41年、日本からカナダに移住した両親の下、バンクーバーで生まれた。戦前はバンクーバー朝日軍の主軸打者として活躍。歌手を夢見て来日したものの、先の大戦の勃発によりカナダに帰国できなくなり、映画の世界に飛び込む。

 戦後は得意の英語力を生かし、占領下の日本で進駐軍キャンプの人気歌手として活躍。俳優としても多くの国際合作映画に出演。「蝶々夫人」(昭和30年)や「レッド・サン」(46年)などのビッグタイトルからB級映画に至るまで数多くの作品に登場した。

 「お父さんの人生は本当に興味深いものがありますね。息子さんが評伝を書いたら、面白いんじゃないですか?」

 平成4年8月、東京都練馬区で開かれた中村の葬儀。寺島さんは、当時自衛隊から研修生として産経新聞に来ていた森山尚直さん(61)から、こう声をかけられた。

 「当時、父に尊敬の念はなく、ましてや評伝なんて考えてもいなかった。それが、森山さんの言葉を受けて父の遺品のスクラップを見てみると、台本の表紙や写真、新聞記事がびっしりと貼られていて、しかも共演者はナット・キング・コール(米ジャズシンガー)ら芸能史に残る人たちばかり。驚きました」

財津一郎さんらに取材

 父の足跡をたどりたい-。こう考えた寺島さんはカナダに飛び、戦前の日系カナダ人社会を知る人々に取材。歌手の石井好子さんや俳優の財津一郎さんら多くの芸能人にも話を聞き、「テッちゃんの息子なら」と歓迎された。取材を重ねるうち、父の印象が大きく変わったという。

 「僕は父が42歳のときの子供。歌手としての全盛期を知らず、母の影響もあり父のことを『怠け者』だと思っていました。それが皆さんからお話を聞くうちに、父は本当に好きでやっていた仕事なのだな、と考えを改めました。本当の父を理解していなかったのでしょう」

 ただし、寺島さんも本業であるマンガやアニメの仕事が忙しく、出版までに25年を超える時を要した。

 「この間に鬼籍に入られた方も多く、申し訳なく思っています。ただ、この四半世紀超の間に、朝日軍が映画『バンクーバーの朝日』(平成26年)などで再評価されるようになった。(同球団で本塁打王を獲得した)父のエピソードが一つ増えました」

ご縁に感謝

 本書は中村の人生ドラマに加え、戦前の日系人差別・強制収容やGHQ(連合国軍総司令部)占領下の空気感など多種多様な要素を盛り込んでおり、読んでいて興味深い。

 昭和24年生まれの寺島さんは、東宝宣伝部に勤めた後、マンガ原作者に転身。アニメ「それいけ!アンパンマン」の脚本も執筆し、「バイバイキ~ン!」「元気100倍!アンパンマン」などの決めぜりふも創案したという。さまざまな経験を重ねた寺島さんの視点は、戦後日本の芸能史を振り返るうえでも貴重な論考を支えている。

 「父はそれほど名が知られていない。最後まで読者に読んでもらえる構成にしよう、と思いました」

 平成4年の中村の葬儀翌日、本紙「葬送」欄に中村の生涯を振り返る記事を掲載した森山さんは、「中村さんの人生そのものが波瀾(はらん)万丈で、私自身感動した」と振り返る。その上で「あの時の出会いが(約30年後に)本になるなんて取材当時は全く考えていませんでしたが、歴史の一瞬に立ち会えた気がして光栄です。ご縁を感じております」と感慨深げに話した。

 寺島さんは父譲りのよく響く低音の声でこう語った。

 「この本を書くことで、以前は誤解していた父のことを理解することができた。書くきっかけをくれた森山さんに感謝していますし、新聞が出会いを結び付けてくれたと思います」

 なかむら・さとし 明治41年、カナダ・バンクーバー出身の日系カナダ人2世。当地で声楽を学び、来日翌年の昭和16年にオペラ歌手としてデビュー。17年からは俳優としての活動も始めた。戦後は進駐軍クラブで人気を博す一方、「レッド・サン」など多くの国際合作映画にも出演した。46年、日本国籍を取得。平成4年、83歳で死去。

てらしま・ゆう 本名・中村修(おさむ)。昭和24年、東京都出身。武蔵大卒。東宝宣伝部勤務を経て、54年に「テニスボーイ」(小谷憲一作画)でマンガ原作者として連載デビュー。主な原作作品に「雷火」(藤原カムイ作画)など。本名で「それいけ!アンパンマン」などテレビアニメの脚本も執筆した。山梨県在住。

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