PR

ニュース プレミアム

【日本語メモ】若き日本と官僚たち-自治制と内務省

交差点越しに皇居大手濠(ほり)を望む一角に立つ「内務省跡」の説明板。第二次大戦後に解体・廃止されるまで内政・民政の権力が集中し「官庁の中の官庁」と呼ばれた=東京都千代田区大手町1丁目
交差点越しに皇居大手濠(ほり)を望む一角に立つ「内務省跡」の説明板。第二次大戦後に解体・廃止されるまで内政・民政の権力が集中し「官庁の中の官庁」と呼ばれた=東京都千代田区大手町1丁目

 官選(かんせん)-国家機関(政府)で選び出すこと。大日本帝国憲法(明治憲法)には地方自治を定めた条文はなく、全国の都道府県知事は政府が任命した。人事権は内務省にあり、高等官としてランクの高い「勅任官」の知事は、内務官僚が数多く派遣された。地方自治の根拠となる法律は、憲法発布の前後に「市制」「町村制」(明治21年)、「府県制」「郡制」(同23年)が制定された。日本国憲法では第8章で「地方自治」(第92~95条)を定めていて、首長や議員の公選(住民の直接選挙)を規定している。

 私の「日本語メモ」では、テーマとなる言葉を選び、大正から昭和前期に活躍した憲法・行政法学者の清水澄を追っている。

 東京帝国大学の仏法科で学んだ清水は、明治27(1894)年に帝大を卒業、内務省に入った。高等文官試験に合格し、東京府書記官や社寺局事務官などに任じている。

 明治中期から後期にかけて、帝大生の進路は「卒業時の席次によって大方は帝大、官庁、司法、民間の順に就職した」との証言が各資料で散見される。44年に帝大法学部(独法科)を卒業し、逓信省に入った石坂泰三(1886~1975年)は、「大学に残るには一番か二番でなければならない。その次は役人、つまり文官試験を受けて役人になるのが普通一般のコースだった。(中略)大蔵省や内務省に入るのは成績順で(中略)まず秀才でないといかれない」と回顧している。石坂は逓信省で務めた後、第一生命保険や東京芝浦電気(現・東芝)の社長を歴任、経団連の2代目会長も務めた。

 19年3月に制定された帝国大学令では「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授」するとし、卒業後に高等文官試験に合格すると「奏任官」という高等官吏に任ぜられた。現在のキャリア組であろう。中央各省庁の官僚は官吏服務規律で「天皇の官吏」と明記され、国家的な課題に取り組む「専門官僚」が使命となった。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ