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【ザ・インタビュー】故郷を思い、彼女を思う 田中慎弥さん「完全犯罪の恋」

初の恋愛小説。「自分だったらこうしたい、といった妄想のようなものも形を変えて入っています」と話す田中慎弥さん(飯田英男撮影)
初の恋愛小説。「自分だったらこうしたい、といった妄想のようなものも形を変えて入っています」と話す田中慎弥さん(飯田英男撮影)

 〈孤高の芥川賞作家、初めての恋愛小説〉と本の帯にある。タイトルからはミステリーの香りも漂ってくる。

 ワインを飲んでから臨んだ芥川賞の受賞会見で「もらっといてやる」と発言して時の人になったのが8年前。デビュー当初はねばりつく長文の描写が目立ったが、最近は軽みのある短文もよく書く。でも、ままならない社会の中で右往左往する個人をすくい上げる視線は変わらなかった。そして、今回の「恋愛」。どんな思いが出発点に?

 「純文学、エンタメを通じて恋愛は普遍的な小説のスタイルです」。時折天井のほうへ目をやりながら淡々と振り返る。

 「だから作家としては恋愛小説をひとつは書いておきたい欲求があるわけです。ただそっち方面は非常に経験が乏しいもので…。ひとつ書き上げたというささやかな自負はあります」

■ ■ ■

 40代の独身で、ここ数年は恋愛もさっぱり。名の知れた文学賞をもらったはいいが最近は出版社からあまり声がかからない。そんな落ち目の男性作家「田中」が、東京・新宿で女子大学生と出会う場面から物語は動き出す。「似てませんか?」-。見覚えのある離れ気味の目で唐突に問うてきた女性は、田中が高校時代に恋心を寄せた同級生・真木山緑の娘、静だった。

 髪が短く大人びた雰囲気の緑にひかれ、好きな本を介して近づいた日々。その緑に三島由紀夫をすすめた上級生男子の影…。母との関係を問い詰めてくる静に対し、田中は昭和から平成への転換期にあたる30年前の甘くて苦い記憶をひもといていく。

 この母娘にはモデルがいるという。映画やCMで見るたびに「その不思議な目にひきつけられた」という女優の小松菜奈さんだ。「こちらを見ているようで全然違う方向を見ている感じがある。あの目線の先には誰がいて、何が起こっているのか? 彼女の顔に追いすがりたい、という思いが強かったですね」

 作中の男女も、同じ時を過ごしながら全く別の所を見ているような雰囲気がある。田中が愛読する川端康成を緑はこき下ろす。緑がふと漏らす「安全で幸せなんがええん?」という一言も田中にはあまりぴんと来ない。攻撃的な物言いは静も同じ。そんな思い込みや誤解に満ちた不器用な関係のはざまから、ある「秘密」が浮かんでくる。

 「女性は強いもので、不自然なくらい男にガーっとしゃべり、やり込める。そういう女性が私は好きなのかもしれない。全くの作り話だけれど、いろんな妄想も入っていて、感覚的には自分のいい所も悪い所も全部出ている」。現在と過去を往還する構成もまた、青春の痛々しさを増幅させる。

 「40代後半になると過去を振り返ることが多くて故郷の風景とかを回想するわけです。さて、恋愛での誰かを思う気持ちと、過去を思う気持ちって、似たところがあるのではなかろうかと。勘違いではあれ、誰かを思うことで自分を確認する。そんな感じですかね」

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 山口県の実家から上京して5年。コロナ禍でも「もともと自宅でする仕事ですから」と、原稿に向かう日常はそう変わらない。

 携帯端末を持たない作中の「田中」の姿は本人そのものだ。執筆道具は今も2Bの鉛筆。コピー用紙に下書きし真っ黒になるまで直す。「これだけ『デジタル、デジタル』といわれる中で自分はどこまで生きていけるのか?」とも漏らす。

 現在、久しぶりに故郷の下関を舞台に据えた長編を構想している。

 「自分が書いているものは文学と呼べないのでは? という不安は変わらずにある。だから少なくともちゃんと書く。そんな当たり前のことを自分に言い聞かせて仕事し続けるしかないんですけれどね」

3つのQ

Q最近読んで面白かった本は?

20年ぶりくらいに読み返した、トルストイの『戦争と平和』。圧倒的に面白かった。あんなものは20代で読んで面白いわけがない

Qもし作家にならなかったら?

毎月給料がもらえる仕事はいいだろうな、って単純に思います。ただ、職業としては作家のほかに考えられない

Q今、一番ほしいものは?

時間ですかね。あり余っているはずなんですけど、足りるということはない。睡眠時間とかボケっとする時間も含めて

(文化部 海老沢類)

 たなか・しんや 昭和47年、山口県生まれ。山口県立下関中央工業高校卒。平成17年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受けてデビュー。20年には「蛹」で川端康成文学賞、同作を収めた作品集『切れた鎖』で三島由紀夫賞。24年に『共喰い』で芥川賞。『ひよこ太陽』で昨年、泉鏡花文学賞を受けた。

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