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遺骨を骨格標本に、孤児や盲ろう者に尽くした兄妹の物語

福田平治(福田平治・与志顕彰会提供)
福田平治(福田平治・与志顕彰会提供)
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 明治から昭和にかけて山陰地方で福祉事業の先駆者となった兄と妹がいた。福田平治=1866~1941年=と妹の与志(よし)=1872~1912年。平治は孤児を引き取って育児院を開いたことをきっかけに、スペイン風邪の流行では歳末助け合い運動に取り組み、無料宿泊所などを次々に立ち上げた。与志は給料のほとんどを障害のある子供のために使った。平治は「山陰社会事業の父」とも呼ばれたが、時代とともに2人の功績を知る人は減りつつあるといい、顕彰する記念館(松江市)では老朽化に伴う修理費の捻出に苦慮するほどだという。

「山陰社会事業の父」

 松江市の住宅街の一角にひっそりと建つ「福田平治・与志記念館」。木造2階建ての洋風建築で延べ床面積は約94平方メートル。急勾配の三角屋根が特徴だ。昭和6年に松江育児院の礼拝堂として建てられ「愛隣会館」の名称で呼ばれていた。

 敷地には46年に建立された平治の顕彰碑が立つ。当時の鳥取県知事、石破二朗氏が寄贈した同県の石でできていて、当時の島根県知事、田部長右衛門氏の字で「山陰社会事業の父」と紹介されている。

 顕彰碑が建てられてからまもなく半世紀。記念館の保存活動に取り組むNPO法人「福田平治・与志顕彰会」理事長の石橋博さん(90)は「平治と与志の功績を学校でほとんど教えなくなり、2人を知らない人が増えた」と悲しむ。

孤児引き取り、福祉の道に

 顕彰会などによると、平治は鳥取市出身で、幼い頃に松江市に移住した。

 福祉の道に進んだのは、明治26年10月に松江を襲った水害がきっかけ。親を失った子供が橋の下などで寝起きし、残飯を食べているのに心を痛めていた。行政に対策を求めたが聞いてもらえず、29年3月5日、孤児9人を引き取り、自分が経営する印刷所の一室に「松江育児院」を開いた。印刷所を売却した資金で8年後に現在の記念館周辺に移転した。

 転機となったのが大正7~10年のスペイン風邪の流行だった。国内では約2400万人が感染、約39万人が死亡したとされる。松江市内でも影響は大きく、平治は7年末に歳末助け合い運動を開始。身内を亡くした高齢者のための老人ホームや託児保育園、無料宿泊所、身上相談所などを次々につくり、貧しい人の救済にあたった。

女性として初めての創設者に

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