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もとは防風林のメタセコイア並木が紅葉100選になるまで

秋が深まると紅葉に染まるメタセコイヤ並木(高島市提供、平成30年12月撮影)
秋が深まると紅葉に染まるメタセコイヤ並木(高島市提供、平成30年12月撮影)
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 紅葉の美しさで知られる滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木。高さ20メートルを超える巨木約500本が総延長約2・5キロにわたって県道両脇を彩り、年間約20万人の観光客が訪れる県内有数の観光スポットで、「日本紅葉の名所100選」の一つとして知られるが、当初は防風林という「街の守り神」として整備され、観光資源になるとは全く考えられていなかったという。(岡田敏彦)

使えない土地から栗園に

 いまメタセコイア並木のある土地一帯は戦前は雑木林だった。戦後の食糧難のおり、作物を作りたいところだが、水はけがよすぎて水田にできないなど問題があり、クヌギやコナラなどを植え、木炭用の薪林とするしかなかった。

 昭和30年代に入り、この地域に新たな需要が生まれる。経済成長に伴って国内で観光旅行を楽しむ人たちが増えてきたのだ。電気やガスが地方にも行きわたり、薪の需要が減ってきたこともあり、地元住民たちは「観光用の栗農園を作ろう」と立ち上がった。

 並木を管理する市農業公園「マキノピックランド」の桂田亘支配人(43)は当時、栗を選んだ理由について「初期投資が少なくて済む。観光農園にすれば、観光客が自分で拾い集めてくれるから収穫の手間もかからない」と聞いたという。

 農道の整備や栗の苗木の植樹なども終え、栗園が開園したのは昭和46年のこと。「マキノ観光栗園」と名づけられた栗園には最盛期には年間1万人以上が来園するようになった。当時は観光栗園自体が珍しく、そんな中でも国内最大だったとみられる。

 地元では大正時代の開設で町名の由来ともなったマキノ高原スキー場が人気を集めており、冬はスキー、秋は栗拾いで観光客に来てもらおうという計画はこのまま順調に進むと思われた。

防風林壊滅からの再起

 開園からしばらくたった昭和54年、害虫のクリタマバチに悩まされていた栗園を「最大瞬間風速40メートル前後を記録する猛威」(旧マキノ町広報誌より)の台風16号が襲う。10月1日夜半に滋賀県を通過した台風は、暴風による大きな被害をもたらした。栗園では害虫と台風のダブルパンチで、7割を超える栗の木が倒れたうえにポプラの防風林もほぼ全て倒木したという。

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