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【千田嘉博のお城探偵】木々で見えぬ真価 弘前城

弘前城二の丸の南内(みなみうち)門。1611(慶長16)年に完成した立派な門は国の重要文化財に指定されているが、正面から見ると伸びた枝と茂った葉に隠れてしまう=筆者撮影
弘前城二の丸の南内(みなみうち)門。1611(慶長16)年に完成した立派な門は国の重要文化財に指定されているが、正面から見ると伸びた枝と茂った葉に隠れてしまう=筆者撮影

 弘前城(青森県弘前市)には日本列島最北の現存天守がある。岩木山を背景に白い天守がそびえる姿は凜々(りり)しく、春の桜、秋の紅葉に彩られた姿は、日本を代表する景観といってよい。そこで初秋の一日、紅葉の弘前城を満喫しようと訪ねた。

 ところが葉は色づき始めたばかりで、緑がまだ濃い中を探険することに。普通ならば落胆するが、お城探偵として、気付いたことがあった。弘前城は以前取り上げたことはあるが、今回はその「気付き」から考えたい。

 最大の気付きは堀、防御のための土盛りだった土塁、石垣、そして櫓(やぐら)や門も、盛大に葉っぱに隠れて見えないことだ。

 近代になって桜の植樹が始まり、「桜守(さくらもり)」と呼ばれる専門家たちが城の桜を守り育て、今日に至るのはよく知られている。確かにこれはひとつの文化的景観で、弘前の人々が誇りにするのもうなずける。

 水墨画のように枝を伸ばした木々は見事だが、弘前城を探険しているのに、森林を散策しているように錯覚する。曲輪(くるわ)の端の土塁の上に建つ櫓は、確かにそこにあるらしいが、手前にも奥にもある木によって、遮られている。

 弘前城には多くの櫓門が残るが、正面から観察しようとすると、張り出した木々の枝で大事なところが見えない。そこで横から見たり、接近したり、何度も立ち位置を変えて心の中の画像をつなぎ合わせないと、全体像は分からない。景色としてはきれいだが、これが弘前城として最適な状態なのだろうか。

 弘前城は堀や土塁を自在に屈曲させ、敵の側面に防射した「横矢掛け」を要所に用いた。横矢掛けは、お城ファンがときめく重要ポイントだが、ことごとく葉っぱに遮られ、目視が難しい。現地を訪ねても、守りの工夫が分からない状況に陥っている。

 ここまでになると、弘前市による弘前城の環境整備は、バランスを著しく欠いていると言わなくてはならない。桜や木々を守り、景観を維持していくのは賛成だが、城としてのポイントが見られるよう、木々を管理するのは可能だ。景観と「国指定史跡」としての本質的価値が両立する考え方に、改めるべきではないか。

 天守(重要文化財)も問題が山積している。天守は石垣修理のため、「曳家(ひきや)」で本丸中央に移されているが、見学はできる。天守は重文として、建物そのものに大きな価値があるのだが、内部の売店や江戸時代の駕籠(かご)といったものが、建物としての見学を妨げる。

 城内には歴史博物館があり、史跡のガイダンス施設もある。それにもかかわらず、害虫対策や温湿度管理が十分とは言えない、紫外線にもさらされる天守の中で、実物資料を展示する意図も理解できない。

 「Go To お城」で弘前城を訪ねた人々の期待からも、現状は大きく外れていると思う。  (城郭考古学者)

     

 弘前城 当地を治めた津軽氏の居城で、1611(慶長16)年築城。当初あった5層の天守は江戸初期の落雷で焼失し、現存の3層天守は1810(文化7)年に「櫓」として築かれた。明治以降も破却を免れ、天守・櫓が計4基、櫓門5基が現存する。明治以降に桜の植樹が本格化し、全国屈指の桜の名所としても知られる。

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