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樋口中将の遺作発見「樺太に玉と群れなお」 防衛戦司令官が込めた心情は

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樋口季一郎中将が俳句を書き残した愛用の将棋盤=10月23日、北海道石狩市の樋口季一郎記念館(寺田理恵撮影)
樋口季一郎中将が俳句を書き残した愛用の将棋盤=10月23日、北海道石狩市の樋口季一郎記念館(寺田理恵撮影)
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 ユダヤ難民を救出した功績で知られる旧陸軍の樋口季一郎中将(1888~1970年)が、樺太防衛戦の犠牲者を悼んだ俳句が神奈川県茅ケ崎市の遺族宅で見つかった。樋口中将は終戦当時、司令官として千島列島や南樺太での自衛戦闘を決断。今でこそソ連軍の北海道侵攻を阻止したとされるが、生前は評価されず、自ら戦争を語ることもなかった。遺作に込めた真意とは。(寺田理恵)

将棋盤の裏に俳句

 俳句が残されていたのは、樺太柳の大木で作られた愛用の将棋盤の裏。漢字と変体仮名で書かれ、現代文にすると「樺太に 玉と群れなお 輝(て)るやなぎ」となるという。神奈川県大磯町に住んでいた昭和38年5月4日の日付もある。

 将棋盤は孫の玉村輝雄さんに譲られ、名前の2文字が詠み込まれている。7年前に輝雄さんが亡くなった後、その弟の邦夫さん(72)が受け継ぎ、最近になって書家や国文学者らの協力を得て解読した。

 大まかな意味は「樺太の地で、群れをなして散った多くの兵士たちの上には、今もなお柳の木に朝日が当たって輝いていることよ」。

 直接的な心情表現はないが、「玉」に玉砕を掛けており、読み解く鍵は樺太防衛戦にあるようだ。

民間人も犠牲に

 昭和20年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を破って対日参戦。日本の降伏表明後も千島列島や南樺太で侵攻を継続し、樋口中将は自衛戦を命じた。

 当時の南樺太には民間人約40万人が居住しており、軍人を上回る民間人の犠牲者が出ている。15日の「終戦の日」後の戦闘が「戦後の東西ドイツのような分断から日本を守った」と評価されるようになったのは近年のことだ。

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