PR

ニュース プレミアム

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】老写真家の含羞と懐疑

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画(C)Saul Leiter Foundation
ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画(C)Saul Leiter Foundation

 「帽子」と題された作品を見て、スナップショットでここまでの表現が可能なのかと思わずうなってしまった。ある雪の日、水滴が滑り落ちるショーウインドーの向こう側、白く凍えたニューヨークの街に黒い傘をさして立つ男が、芥子(からし)色の帽子に左手をやったその瞬間を撮ったものだ。男の前方にはタクシーの黄、背には口紅のような赤がにじむ。見事な構図と繊細な色彩感覚。それだけではない。ショーウインドーに描かれ、剥がれかかったアルファベットが、作品にノスタルジックなアクセントを付与している。見ているうちに、無機質に傾く自分の心にぽっと小さな火がともるような心地がした。

 Bunkamuraザ・ミュージアム(東京都渋谷区)で開催中のソール・ライターの回顧展で出合った作品だ。彼が60年も暮らしたニューヨークのイースト・ヴィレッジで撮ったスナップのほかに、写真を撮り始めた彼の被写体となった妹のデボラ、40年以上も生活をともにしたパートナーのソームズのポートレート、セルフ・ポートレート、ファッション誌「ハーパーズ・バザー」のために撮ったファッション写真など200点以上が展示されている。撮影期間は1942年から2009年と67年にわたる。

 ゆっくりと作品と向き合ううちに、サイモン&ガーファンクルの「59番街橋の歌(フィーリン・グルーヴィー)」が脳内に響き始めた。「ペースを落とせ、君は速すぎる…」。ちなみに「59番街橋」はニューヨークのイースト・リバーにかかるクイーンズボロ橋の別名である。ライターがイースト・ヴィレッジを歩きながら撮った写真は、ニューヨーク出身のS&Gの音楽がよく似合う。日常に隠されたささやかなドラマを発見し愛する繊細な感受性、含羞(がんしゅう)、それぞれの人生を肯定するやさしいまなざしが絶妙に響きあう。

再発見された老写真家

 こんな写真を撮った彼のことをもっと知りたくなり、ミュージアム・ショップで『ソール・ライターのすべて』(青幻舎)と『永遠のソール・ライター』(小学館)の2冊を求め、手ごろなカフェのテーブルで眺めた。帰宅後、アマゾンのプライム・ビデオで2013年に公開された「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」(トーマス・リーチ監督、字幕は柴田元幸さん)を見た。死の前年、ライターが88歳のときに孫の世代に当たるリーチ監督に問われて芸術観や人生観を語ったドキュメンタリー映画だ。2度見た。最初は普通に。2度目はメモを取りながら。

 ここでライターの略歴を紹介しておこう。1923年、ペンシルベニア州ピッツバーグの生まれ。父はユダヤ教のラビ(高位聖職者)。ラビの養成大学に入るものの、画家を志して大学を中退、ニューヨークに出る。絵では食っていけない状況のなかで、彼は写真によって生計を立てる方向にかじを切る。そして50年代からファッション写真家として一流雑誌を舞台に活躍し、80年代に入ると表舞台から忽然(こつぜん)と姿を消す。ところが2006年、40年代後半からコダクロームを使って撮りためていたカラー写真を、ドイツの出版社が『Early Color』として出版したのである。ライターにとって初の写真集だった。ライターは再発見され、世界各国で個展が開催されるようになった。

 映画は含蓄に富む言葉で満たされていた。メモした言葉を紹介しよう。

 「あらかじめ計画して何かを撮ろうとした覚えはない」 

 「人生は、本当の世界は、隠れたものとつながっている。…私たちは信じたがる。公になっているものこそ世界の真相だと」 

 「私の好きな写真は何も写っていないように見えて、片隅で何か謎が起きている写真だ」

 「私の写真の狙いは、見る人の左耳をくすぐること、すごくそっと」

 「古風なことを言わせてもらえば、私は美の追求というものを信じている。世の中の美しいものに喜びを感じる気持ちを」

言葉ににじむ含羞と懐疑

 映画の中で、ライターが怒りをあらわにする場面があった。リーチ監督のある質問を「なぜ」という問いかけと受け取ったライターは「説明なんてうんざりだ。『なぜ』こそ最悪だ」とぶちまける。

 芸術家に対して、合理的で誰にでも理解できる答えを期待した「なぜ」という問いほど不遜で不勉強なものはない。そもそも芸術とは合理的な理解を超えたところにあるものだろう。

 印象的だったのはミューズであったソームズをめぐる言葉だ。

 「彼女が揺り椅子に座り、音楽を聴いているのを眺めるのが好きだった」

 このまなざしこそ、ライターがこの世界に向けたものだと強く感じた。そしてこんな言葉を続ける。

 「それから彼女は“バケツを蹴った”。意味、分かるかい? 薄情だよ、死ぬなんて。私に愛想をつかして失望したのかもしれない。ソームズは私の才能を信じてくれた」

 彼女が亡くなったのは2002年。ライターが再発見される4年前のことだった。もう一人のミューズであった妹のデボラは、20代で精神障害を患い、07年に亡くなるまで施設で過ごしたという。

 ぜひ書いておかねばならないのは、孫の世代に当たるリーチ監督に対するライターの態度だ。言葉遣いこそつっけんどんだが、そこには含羞と自分に向けた懐疑の精神がにじんでいた。さまざまな経験を積んでたどり着いた考えを絶対視せず、絶えず「違うか?」とリーチ監督に問い返す。ライターの中には、モンテーニュの「クセジュ(われ何をか知る?)」の精神が息づいていた。人生に正しい答えなどない。大切なのは世界に向けた好奇心を失うことなく、自分を偽ることなく生きること。ライターの作品はそのことを、左耳をこそっとくすぐるように気付かせてくれる。   (文化部 桑原聡)

     

 アンコール開催「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」は28日まで。問い合わせはハローダイヤル(03・5777・8600)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ