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【リオの宿題・サクラセブンズ戦士のいま(3)】中村知春(32)「コロナ禍で全部リセット」GMと選手の“二刀流”

リオ五輪後もサクラセブンズでプレーする中村。所属チームのGMとの“二刀流”で活躍する(長尾みなみ撮影)
リオ五輪後もサクラセブンズでプレーする中村。所属チームのGMとの“二刀流”で活躍する(長尾みなみ撮影)

 「相当、落ち込みましたね。それしか考えて生きてこなかったですから」。2016年リオデジャネイロ五輪で、金メダル獲得を目標にしながら10位に終わったラグビー7人制女子日本代表。最も打ちのめされたのは主将の中村知春(電通東日本)だったのかもしれない。

 7人制が五輪種目として採用されることが決まったのは09年10月。コペンハーゲンで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会でのことだった。当時、国内の女子ラグビーの競技者数は500人程度。7年後に向け、日本協会は他競技からも広く身体能力に優れた選手を募り、日本代表の幹を築き上げていった。

 中村も大学(法大)までバスケットボールを続け、ラグビーを始めたのはバスケ引退後という転向組。楕円(だえん)球を手にした翌年の11年には代表候補合宿にも招集されるようになり、急ピッチで経験を積んだ。経験は浅かったが、人をひきつける力に優れ、じきに主将に任命されると、先頭に立ってリオまでの道のりを駆け抜けてきた。

 15人制男子の15年ワールドカップ(W杯)イングランド大会で歴史的3勝を手にした日本代表にも負けない練習量ともいわれた日々を「金メダルを取るんだと、私たちなら何か起こせる気がするとか、根拠のない自信じゃないですが、それくらい命を懸けて過ごしてきた時間と仲間、絆があった」と振り返る。

 だが、1次リーグは3戦全敗。9~12位決定予選戦で五輪初勝利を手にしたが、9、10位決定戦で敗れ、最終成績は出場12チーム中10位だった。

 13年の7人制ワールドカップ(W杯)は全敗、15年12月から16年5月にかけて5戦が行われたワールドシリーズでは最高成績が9位どまりだったチームは、五輪でも大きく浮上することはなかった。現実という壁に突き当たり、リオが終わった。

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