PR

ニュース プレミアム

たいまつをアイスに持ち替えた「自由の女神像」が見た平成

交通の要衝で交通安全を願う「フジキの交通安全女神」=松江市東出雲町
交通の要衝で交通安全を願う「フジキの交通安全女神」=松江市東出雲町
その他の写真を見る(1/4枚)

 高々と右手を挙げ、周囲を見渡す「自由の女神像」の写真。周辺の景色は米ニューヨークではなく、日本国内によくある風景だ。8月、「交通安全女神」として松江市内の道路脇に登場した自由の女神像。実は平成の時代の32年間にわたり、松江市市街地の移り変わりをみてきた、通りのシンボル的存在だった。

「目立ちたい」

 「店を目立たせるという、極めて単純な発想だった」。こう話すのは、山陰地方で6店舗を経営するギフト販売「フジキコーポレーション」(同市東出雲町)の藤原茂紀会長(78)。自由の女神像はもともと、同社が平成元年、同市の島根大学前に通じる「松江学園通り商店街」のフジキ西川津店(現松江・学園通り店)開店に合わせて店舗屋上に設置したものだった。

 繊維強化プラスチック製で、「高岡銅器」で知られる富山県高岡市の業者が製造。像だけで高さ約6メートル。店舗と土台計約8メートルの上に立っているため、当時は遠くからよく目立ったという。

 しかし、開店から半年ほどは周辺道路が未舗装だった。このため「『女神像は見えるが、どうやって店まで行くんだ』と客から電話で叱られたこともあった」(藤原会長)という。

荒野にポツンと

 松江学園通り商店街は元年に市の区画整理事業で誕生、フジキ西川津店は初期に出店した。同商店街は今でこそ南北約1・3キロに駐車場を備えた100店以上が並ぶが、当時はまだ「学園通り」の名前すらなく、荒野にポツンとネオンが光る寂しい光景だったという。

 「舗装されていない道路は雨が降るとぬかるみ、晴れた日はほこりまみれになった」と藤原会長。同社にとって西川津店は2店舗目の出店で、周囲からは「そんな場所に出店するのは、だら(愚か者)といわれた」(藤原会長)。

 だが、藤原会長は将来の発展を見越し、出店を決めた。

 その狙いは当たり、やがて周辺では団地の開発が進み、人口が急増。商店街への出店も相次ぎ、松江学園通り商店街の誕生は、松江市周辺の商圏地図を塗り替えたとまでいわれる。藤原会長も「地の利は変わっていくことを身をもって実感した」と話す。西川津店は、手狭になったことから6年に隣接する土地に移転し、「松江・学園通り店」になった。

右手にはアイス

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ