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【一聞百見】阿波踊りのない夏 最年少女性市長が語るコロナ下の船出 徳島市長の内藤佐和子さん

「わくわくするまちに」と徳島市の将来像を思い描く市長の内藤佐和子さん=徳島市役所(彦野公太朗撮影)
「わくわくするまちに」と徳島市の将来像を思い描く市長の内藤佐和子さん=徳島市役所(彦野公太朗撮影)
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 弁護士を目指して東大法学部に通っていた20歳のときに神経細胞が傷つく難病「多発性硬化症」を発症し、闘病体験を著書「難病東大生」につづった内藤佐和子さん(36)。実家の機械製造会社の役員を務める傍ら、まちづくり団体を立ち上げ、ふるさとの徳島市を元気にしようとイベントに携わってきた。転機は今年4月。新人候補として挑んだ徳島市長選に勝利し、全国で歴代最年少の女性市長に就任。新型コロナウイルス感染症対策をはじめ、課題が山積する人口25万人の県都のかじ取りを担う日々が始まった。

(聞き手 吉田智香・高松支局長)

■任期初日に対策会議

 徳島市で初めての女性市長となって3カ月余りが経過した7月下旬、内藤さんは取材場所の市役所の応接室にさっそうとしたパンツスーツとヒール姿で現れた。新型コロナウイルス感染症を防止するため、インタビューはマスクを着用したままで行った。

 前市長との一騎打ちとなった4月5日の市長選は保守分裂選挙となり、まれにみる激戦となった。阿波おどりの運営をめぐる混乱や、徳島県と市の対立で物事が進まない現状に危機感を感じ、対話路線を打ち出して臨んだ選挙。「(情勢は)五分五分と聞いていたので、最後まで気が気ではありませんでした」。投票率は38・88%。わずか1999票差、得票率では2・5ポイント差の勝利だった。

 もちろん、選挙戦も新型コロナの影響をもろに受けた。新人候補として知名度アップを図らなければならなかったが、集会や演説会も中止や規模縮小を判断せざるを得なかった。「『一人でも多くの人と握手をすることが票に結び付く』とおっしゃる政治家は多い。でも、新型コロナウイルスの感染を予防するため握手はできない。車の交通量も普段に比べて少なく、有権者に会える機会があまりなかったです」

新型コロナ対策など就任直後から多忙な日々を送る徳島市長、内藤佐和子さん=徳島市役所(彦野公太朗撮影)
新型コロナ対策など就任直後から多忙な日々を送る徳島市長、内藤佐和子さん=徳島市役所(彦野公太朗撮影)
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 そうした中、1日十数回にも及ぶ街頭演説を精力的にこなすとともに、会員制交流サイト(SNS)のフェイスブックやツイッターも駆使し、自らの政策や思いを発信した。「浮動票を取り込めたことが勝因の一つかもしれません。県市協調を訴えたことや、若さ、女性という点も支持につながったのかもしれませんね」と冷静に分析する。

 新型コロナの影響で政府が緊急事態宣言の対象地域を拡大したことを受け、任期初日で土曜日だった4月18日に急遽(きゅうきょ)、対策本部会議を開催。集まった市幹部に、スピード感を持って課題を解決できる市にしようと語りかけた。会議では、SNSも活用して市民の声をくみ取ったり、情報発信したりするよう指示した。「徳島市でいつ感染者が出てもおかしくない状態でしたし、現場の状況を早く把握したいという思いがありました。感染者が確認されてすぐ対応するのは難しい。ある程度の方針を立てておきたかったんです」

■弁護士断念、町おこしに情熱傾け

 全国で歴代最年少の女性市長となった内藤さん。その人生が一変したのは、東大に在学中だった20歳の夏だった。めまいに悩み、病院で検査を受けたところ、神経細胞が傷つく「多発性硬化症」と診断された。厚生労働省が指定する難病の一つだ。

 免疫異常により神経線維を覆っている髄鞘(ずいしょう)などが傷つくことで神経の情報伝達が阻害されて発症するとされ、体のしびれや視力低下などを起こす。人によって症状が異なり、いつ症状が出るかは分からない。いわば「爆弾を抱えて生きるようなものです」と表現する。著書「難病東大生」(平成21年)では、医師に病名を告知されたときの心情を次のようにつづっている。

 《不思議と何の感慨もわかなかった。もしかしたら私にはあまりにも重たい事実だったために、何も感じないよう感情が「ストップ」したのかもしれない。》

 当時の夢は弁護士。困りごとを抱えた人の相談に乗る仕事は、自身の体調に影響を与えないだろうか。主治医に相談すると「ストレスがたまりやすく病気が悪化する可能性もある。病気のことを考えるなら、ならない方がいい」と諭され、涙が止まらなかったという。やむなく目標を諦めた。入院を余儀なくされ、勉強や旅行と学生生活を謳歌(おうか)する友人をうらやましく感じたこともあるが、「考えても仕方がない。『自分にできることをやればいい』といろんなことに挑戦しました」と振り返る。著書出版もその一つだった。

(次ページは)わくわくするまちに…

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