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【一聞百見】上方歌舞伎 わが道、わが使命 歌舞伎俳優・片岡千壽さん

「自粛期間中はちょっと気持ちも沈んだが、今月から再開が決まり、感謝の気持ちしかない」と話す片岡千壽さん=大阪市浪速区(薩摩嘉克撮影)
「自粛期間中はちょっと気持ちも沈んだが、今月から再開が決まり、感謝の気持ちしかない」と話す片岡千壽さん=大阪市浪速区(薩摩嘉克撮影)
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 いよいよ、待ちに待った歌舞伎の幕が今月、大阪で開く。20日から大阪・阿倍野の近鉄アート館で行われる「あべの歌舞伎 晴(そら)の会」の公演だ。主要メンバーの片岡千壽さんは上方歌舞伎の女形。歌舞伎とは縁のない家庭で生まれ育ちながら、抜群のセンスと整った顔立ち、そして不断の努力で、大役に抜擢(ばってき)されることもしばしばという期待の役者である。「どんなときでも上方歌舞伎にこだわっていたい。それが自分たちが歌舞伎界にいる使命」。千壽さんが舞台にいるとそれだけで、上方のにおいがはんなりと立ち込める。

(聞き手・亀岡典子編集委員)

■歌舞伎無縁の15歳、希望を胸に

 初めて千壽さんに会った日のことは、はっきりと覚えている。

 平成9年4月、大阪・道頓堀の松竹座で行われた「松竹上方歌舞伎塾」の第1期の開塾式。15歳の少年は慣れない黒紋付きはかま姿で同期の7人とともに神妙に式に臨んでいた。ちょっと丸顔の目のくりっと大きいかわいらしい顔立ち。だが、その表情には芯の強さがにじみ出ていた。それが歌舞伎俳優としてのスタートの日であった。

 「正直、当時は軽い気持ちやったんです。高校に行って普通の道を歩むより、一回、歌舞伎の世界をのぞいてみようかなって」。ところが開塾式には関西の伝統芸能界の重鎮がずらりと参列、マスコミも大勢押し寄せた。それだけ上方の歌舞伎俳優を一から育成しようという塾への注目度は高かったのだ。「初めて取材というのを受けましたが、何をしゃべっていいのかわかりませんし、着せていただいた紋付きは着崩れてくるし…」。歌舞伎を見たことすらなかった。まして、上方歌舞伎とは何なのか、想像もつかなかった。

 塾に入ったきっかけは、親戚が塾生募集の記事を見つけたこと。小学生の頃から目立ちたがり。文化祭では音楽と漫才を披露した。人前に出ることは好きだったのだ。そもそも、同塾は、戦後低迷した上方歌舞伎再興のため、関西に住み、関西弁をしゃべる上方歌舞伎の後継者を育成しようと、松竹が平成9年、大阪に開塾。1期生は全員歌舞伎とは無縁の一般家庭出身だった。

 当時、松竹座の8階の稽古場に授業の様子を取材しに通ったことを思い出す。歌舞伎の稽古はもちろんだが、文楽の人間国宝、竹本住太夫さんら、そうそうたる講師陣が直々に教える授業。だが、塾生らの稽古着の浴衣は少し動くと太ももが丸見え。正座が続くと足はもぞもぞ。正直なところ、こんな調子で大丈夫だろうかと心配になったものだ。「ところが、つらさより楽しいことの方が多かったんです。超一流の先生方から毎日、新しいことを教えていただける。課題をクリアしていくのもうれしかったですし、卒塾したら歌舞伎俳優になれる、舞台に立てるぞって、希望ばかり。歌舞伎俳優になったらどんな人生が待っているかなんて、想像もしていなかったですね」

 そんな塾生時代、人生を変える人に出会う。塾の主任講師をつとめた上方歌舞伎の女形、後に人間国宝になる片岡秀太郎(ひでたろう)さん。千壽さんの師である。

■「女形であること」心がけ

 千壽さんは「松竹上方歌舞伎塾」の塾生時代、主任講師を務めた秀太郎さんの薫陶を受けた。「旦那(秀太郎)のご指導はすごかったですね。ご自身は女形なのに、立役(たちやく=男役)から老け役まですべてのお役のせりふや動きを覚えておられて、何もできない私たちに手取り足取り教えてくださいました」

第2回「あべの歌舞伎 晴の会」で上方歌舞伎塾の同期と。左から片岡千次郎、片岡松十郎、片岡千壽、片岡りき彌、片岡佑次郎=平成28年8月、大阪市阿倍野区の近鉄アート館(本人提供)
第2回「あべの歌舞伎 晴の会」で上方歌舞伎塾の同期と。左から片岡千次郎、片岡松十郎、片岡千壽、片岡りき彌、片岡佑次郎=平成28年8月、大阪市阿倍野区の近鉄アート館(本人提供)
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 当時、秀太郎さんは公演の合間を縫い、寸暇を惜しんで歌舞伎の演技やせりふの言い回しを塾生に徹底的に教え込んだ。卒塾するまでの2年で素人の若者をまがりなりにも舞台に立てるまでに仕込んだのである。千壽さんは秀太郎さんに憧れて弟子入り、師と同じように女形を目指す。「塾生の頃は照れもあり、性格的にも男っぽい方だったので女形になるという決心はしていませんでした。でも、舞台の旦那の姿を見ていたら、あんなふうになりたいと思うようになったんです」

 特に憧れた役は「封印切(ふういんきり)」のおえん。大坂・新町のおかみで、歌舞伎では花車方(かしゃがた)といわれる役どころ。秀太郎さんのおえんは絶品。花街で長年生きてきた年増女の色香と風格、情がにじみ出る。でも、若いときって、女形ならもっと華やかなお姫さまを演じてみたいと思うのでは? そう問うと、「いえ、僕はとにかく旦那を目指しているので」ときっぱり。「それに、おえんさんは僕のキャラかな」。ニヤリと笑った。

 歌舞伎の女形は特殊な職掌だ。人間国宝、坂東玉三郎さんも「女形の修業は一生かけて取り組まなければならない」とよく話している。千壽さんは15歳で歌舞伎塾に入ったとはいえ、生まれたときからこの世界にいる〝御曹司〟とは立場も修業の過程も違う。まして、男性が女性にふんする女形は、玉三郎さんが言うように特殊で厳しい修業が必要だ。「当たり前ですが、まずは体形の維持。体の動き、鬘(かつら)の形、衣装の着方や帯の締め方…すべてにわたって美しくないといけない。その上でお芝居をどうとらえ、自分のお役をどう作っていくかが大切なのだと思います」

 ところで、千壽さんの特技はものまね。舞台や楽屋での歌舞伎俳優のしゃべり方の特徴をつかんで実にうまく表現する。あるとき、それが玉三郎さんに伝わった。楽屋に呼ばれて披露したところ、「クスっとも笑っていただけなかったんです。わあ、どうしようとあせっていたら、『あのね、役者にとってものまねっていうのはいいことだからね』と言われました」。

(次ページは)人間くささに上方の血…

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