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一生に一度の危機を生き抜くために、災害遺構3D化で伝承

倉敷市立川辺小学校の校庭に設置されている石碑=6月、岡山県倉敷市
倉敷市立川辺小学校の校庭に設置されている石碑=6月、岡山県倉敷市
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 大災害をいかに後世に伝えるか。石碑建立や記録誌発行など各地でさまざまな取り組みが行われているが、常に「記憶の風化」の懸念はつきまとう。平成30年の西日本豪雨から2年。51人の犠牲者が出た岡山県倉敷市真備(まび)町では、復旧・復興とともに3Dデータを使った伝承の取り組みが進められている。

時代とともに埋もれ

 堤防の決壊で、地区の大半が5メートルの浸水に見舞われた真備町の川辺地区。市立川辺小学校の校庭には、ひっそりと1基の石碑がたたずんでいる。

 真備町が水害にあったのは西日本豪雨が初めてではない。明治26年の台風17号では浸水により約200人の死者が出たと伝えられる。昭和51年9月の台風でも大規模な浸水被害があった。

 市立川辺小学校の校庭にある石碑は51年の台風の記録。建立当時、浸水深である地上75センチの位置に横線が刻まれた。

 だがその後、校庭の整備で幾度となく土の入れ替えが行われ、石碑は埋もれていった。横線は現在、大人のひざ下程度の高さに見えている。

 岡山大大学院の松多信尚教授(自然地理学)は「石碑は常に状態を維持し続けられるわけではない。結果として、当時建てた人たちが満足するだけで終わってしまうことがある」と延べ、「災害の記憶」を後世に伝えることの難しさを指摘する。

「記憶」で鈍る出足

 松多教授は昨年、地元の住民グループとともに、西日本豪雨当時の住民の避難行動などについて調べ、報告書をまとめている。

 それによると、倉敷市が危険が予想される箇所を示したハザードマップで「安全な場所への立ち退きが必要」とされる場所に自宅があったものの避難せず、救助された人の数は2350人に上った。逃げなかった理由を尋ねると「これまで災害を経験したことがなかったから」という人が多かった。

 こうした中には51年の水害の経験者もいたが、西日本豪雨に比べて規模が小さかったためか、西日本豪雨での避難の出足が鈍った人もいた。

 松多教授は「大災害は一生のうち1回あるかどうかという頻度で起きる。人の記憶に頼らず、もっと長い目で見た伝承が必要だ」と説明する。

遺構をデジタル保存

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