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【日本語メモ】姿なき「切符」

 延期された東京オリンピック・パラリンピックの開幕まで1年を切った。すでに出場を決め「五輪への切符を手にした」選手たちの中には、コロナ禍の不自由な環境下での練習などが報じられている。「五輪への切符をつかんだ」という書き方も目にする。

 厚い紙の切符。最後に見たのはいつのことだろう。ICカード乗車券のスイカやパスモ、イコカを使っていると、切符を買わずに電車に乗れる。登録すればスマホをかざすだけで改札を通ることもできる。どの駅でも乗り降りでき、とても便利だ。

 以前は乗車料金を確かめて切符を買って、駅員さんに渡してハサミを入れてもらい、それを持って電車に乗った。文字通り切符で、ハサミの切り型が駅によって違った。切符を切る駅員も大変だったし、切符をうまく受け渡しできるかどうか、ある種の緊張感があった。自動改札になって、リラックスして通れるようになった。

 たまにスイカが残高不足で自動改札機用の切符を買ったりすると、その時の動作がわずらわしくさえある。切符は時代と共に消えてゆくのだろう。

 それなのに、新聞記事ではいまだに切符が大事な宝物のように表現されている。実際の五輪選手には何というものが渡されるのだろうか。五輪出場証明書か、権利書か。

 切符ではなく「五輪へのチケットを手にした」という表現もあるが、まだ数は少ない。「五輪への出場権を手にした」なら、どんな場面でも使えそうだ。権があるから券(乗車券=切符)を手にすることができる。ただ、権には姿形がない。

 五輪選手はメダルを手にし、力士は賜杯を抱え、高校球児は優勝旗を授与される。勝利した人には、その名誉と共に、それが実感できる具体的なものが必要なのではないか。五輪への「切符」が実在しなくても、勝利者をたたえるために「五輪への切符を手にした」と表現したくなるのかもしれない。(ま)

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